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翻訳できない世界のことばという本

10代の頃私は自分のことを「それなりに本が好き」な人間だと思っていて、もし将来子どもを産んでその子が大きくなったら、大きな書店に一緒に絵本とか選びに行きたいぞよ~と思っていた。その頃の私は実際の子どもというものを遠くからしか見たことがなかった。

しかし実際に子との生活をスタートさせてみると、自分の息子はとても書店なんぞに連れて行ってはならぬ生物であることがわかった。赤子の頃はそれまでベビーカー内で静かに寝ていたくせに私が店内に一歩足を踏み入れるやいなや(アズスーンアズ)「……ッンギャアアアアアアア!!!」と泣き出すし、親より何よりスティックパンが好きだった一歳頃にはパンのレシピの本を指さして「バン!(当時はパ行の発音ができなかった)バン!ウォオオオオ!バン!バァァーン!」とよだれたらして大騒ぎするし、二歳の時と三歳の時は触ってはならないもの(商品)をむやみに触ろうとするし、表紙とか破れそうでヒヤヒヤするし、とても落ち着いて本を選ぶどころではなかった。

 

五歳の現在は、事前に言い聞かせれば静かにしているし、むやみに触ってはならないもの(商品)も丁寧にあつかうことができるようになったけれども、ちょっと目を離した隙にリルケの詩集を立ち読みしているお嬢さんの隣に立って尻をフリフリして遊んだりしているので実に油断ならない。

なので私はいつも仕事帰りにひとりで書店に立ち寄ることにしているが、はやく帰って飯の支度をしたり洗濯物を畳んだりせねばならぬ身ゆえ、ゆっくり見てまわることはできない。欲しい!どうしても欲しい本!としてリストアップした本をガスガスと何冊も棚から抜きとって、早足でレジに向かう。そんな按配なのだが、このあいだ「欲しい!」じゃなくてネットでその存在を知った時には「まあ買ってみてもいいかしら」と感じた程度だったけど目についたので購入した本が予想を超えて超えて虹のむこう(オーバーザレインボウ)に行ってしまうぐらい素晴らしかったので、今日はそのことを話そうと思う。十代の頃云々から尻をフリフリのくだりまでは前置きです。なげえ。

 

『翻訳できない世界のことば』という本、見開き一頁ごとにひとつ、いろんな世界のことばが美しい絵とともに紹介されている。他の国の言語に訳すときに一言では訳せないような、その言語固有の言葉たちなのだそうで、日本語だと「木漏れ日」「わびさび」なんかがそれにあたるのだそうだ。ないんだってよ、ほかの国には。

この本の良いところは、まず家事の合間にちょこちょこと読めるというところだと思う。絵がきれいなので、眺めているだけでも、ぱらぱらめくるだけでも楽しい。それから、読んだあと誰かと話をしたくなる。

あと個人的には、とても小説を書きたくなる、という良さがある。載っている外国の言葉をつかってみたいということではなくて、単純に、言葉を使うよろこびみたいなものを思いださせてくれる。小説とはなんぞやという問いの答えは読む/書く人の数だけあるのかもしれないけど、私にとっては「ひとことで言いあらわせないような、または名前のつけようのない感情あるいはものごと」を伝えるための手段だと思っている。