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白玉が喉につまる

たまに単純作業をしたくなる。そういう時は白玉を茹でるに限ると私は思うので、日曜日に息子と白玉粉をこねてこねてねこねこ幻想曲(ファンタジア)になるまでこねて、その後は手のひらでまるめてまるめてマルチェロ・マストロヤンニみたいになりながら茹でて食べた。
白玉粉」は息子の発音だと「しら・たまこ」と聞こえ、かつて同じような発音をした友人がいたことを思い出した。
というわけで私は今からその人(以下白たま子)の話をする。

白たま子はバスケだかテニスだかをやっていた。(どっちか忘れた)
美人だった。クラス代表のスピーチとか、体操の模範演技とか、とにかくなんらかの代表に選ばれることの多そうな、ある種の華やかさがあった。あと、よその学校の男子からよく愛の告白をされていた、ということを白たま子の同窓だった桜餅子から聞いた。

私はその頃へんなレストランでバイトをしており、羊羮一郎という男と仲が良かった。(色恋的な意味ではなく)
白たま子と桜餅子のふたりと親しくなったのは羊羮一郎がきっかけだったように思うが、詳細は忘れた。忘れたが羊羮一郎の友人や桜餅子の恋人を交えてドライブとか花火大会とかなんか青春っぽいことを一時期頻繁に行っていた時期がある。

白たま子は「あたし負けず嫌いなんだよね」が口癖で、ゲームとかちょっとした賭けに負けるとめちゃくちゃ悔しがっていた。みんな「そういうとこもかわいいよね」みたいに微笑ましく思っていた。私も。最初のうちは。

白たま子は私や桜餅子が誰かに誉められると、微妙に不機嫌になった。微妙過ぎてわかりにくかったけど、私は子どもの頃から他人の顔色をオドオドと伺うことに慣れていたので、毎回気づいた。
不機嫌になった後に白たま子は「うんうん。そこがテラチのいいとこだよねー。あたしはそんなふうにできないから……でもあたしにはあたしらしさがあるって思うから」みたいなことを言う。そうするとみんなはいつも言葉を尽くして白たま子を誉めることになり、だからいつも結果的には満足そうにしていた。

ある時から白たま子の私への態度がキツくなってきて、それは一応「親しみをこめたからかい」みたいな雰囲気であったけれども、嫌だった。嫌がると冗談が通じない奴、みたいに扱われることもまた嫌だった。

私は小心者なので「居づらい」と感じた時はいつもそうするように、少しずつ距離を置きつつ最終的には疎遠になる方向に持っていこうとしていたが、桜餅子にその思惑がバレたらしく「アンタ私らのこと避けてない?」と問い詰められ、前述の理由を話すと桜餅子は「あ~そりゃ羊羹くんがいっつも『テラチはおもしろい』って言うから白たま子の例の負けず嫌いが発動したんやろ~。いちいち気にするなよ~」と言ってパイの実というお菓子を食べ始めたので緊張感ゼロかよと思った。

白たま子はきれいでみんなに好かれていて、なんでもできるのに、私みたいなもんが持ってるそんなちっぽけなもんを欲しがるんやろうかと思ったら不思議だったし、もっとはっきり言うと「あーわかりましたハイハイハイハイハイ、アンタがナンバーワンよほんとハイハイハイハイハイハイ」みたいなことを考えて呆れた。

「負けず嫌い」というのは、ほんとうはとても大事なものだと思う。勉強とか仕事とかお稽古ごとの際などには。でも方向を間違うと、なんかすごく残念なことになる。

あの時、私が白たま子の不機嫌に気づいたのは「他人の顔色を伺うことに慣れていたから」ではなくて、自分も同じような人間だから、かもしれない。私にも誉められている人を見て「いいな」と思う気持ちが少なからずある。いやばりばりにある。

誉められたら嬉しい、と、誉められたい、はちがう。ということを、私はいつも覚えておかなきゃならない。すぐ忘れるから。「誉められたい」でもそれゆえ一心にがんばるなら良いのかもしれないが、他人をうらやむ方向に舵を切るのはいかんと思う。読書メーターとかで他人の小説の感想を読んで「いいなこの人……『新人とは思えない筆力』って書いてあるわ……いいなァ誉められてて……」とかうらやましがる暇があったらもっと良い小説が書けるよう努力しろと私は私に言いたい。あと白玉に黒ゴマきな粉をまぶして食べると喉につまりやすいから気をつけろって言いたい。言ってやりたいのさ。