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ヤドカリかわいい

夏に息子の通っている保育園で夏祭りがあった。なんで十一月に夏祭りの話するんだよと自分でも思うけれども、とにかく七月に夏祭りがあった。園児が神輿をワッショイワッショイして、園庭にはスーパーボールすくいやヨーヨー釣りの出店があって、みんな楽しそうにモイモイ騒いでいた。

そんでその中に「ヤドカリすくい」というコーナーがあって、息子がどうしてもやりたいと言うので渋々やらせてあげた。のび太の野郎がつまらんワガママを言い出した際のドラえもんのように唇のかたちを数字の3にして、息子にヤドカリすくいをやらせてあげた。今日はそのヤドカリの話をするから、君たちちょっと読んでいきなさいよ。

文章の感じががいつもとちょっと違うのは疲れているからだと思ってほしい。疲れてて、なんか化粧するのも面倒だから素顔で来ましたみたいな感じを想像してくれたらいい。これは眉毛のない文章なんだなって思いながら読んだらいい。

 

渋々だったのには理由がある。その前年の夏祭りには「沢蟹釣り」というのをやったんだけど、その沢蟹がすぐに死んだから。

私はその沢蟹にゴリアテという名をつけて毎日シラスやエビを食べさせるなどして愛でていた。夫は沢蟹の左のはさみが異様にでかいという理由から「モンスターレフト」というちょうカッコE別称をつけたりしていた。

でもゴリアテは十一月になるとすぐに死んでしまった。夫は「寿命だからしかたないよ」と言ったけれども、私はその後しばらくぐずぐず「部屋の温度が低すぎたんやろうか……それとも……」とか死因について考えたり、昼休みに弁当を食べながら思い出し笑いならぬ思い出し涙ぐみをしたりした。

ちなみにその日の弁当はふかしたさつま芋一本で、涙ぐみながら芋を食う様子が異様だったらしく周囲の人から「悲哀がありあまっている」とかなんかロマンスがありあまるみたいに言われて、でも思い出し涙ぐみの理由を話すとたかが沢蟹一匹じゃないっすか、と笑われた。だって生きてるもんが死ぬのは悲しいだろ、と思った。

 

というわけで「ヤドカリだっていつか死ぬじゃないっすか」と思って私の唇は数字の3になったのだけれども、でも死ぬから生き物を飼いたくないっていうのはいつか別れるなら恋なんてしたくないのわたし、みたいな感じで、それはすごく後ろ向きでしょうもないので、結局ヤドカリすくいですくったヤドカリは家に連れて帰った。

ゴリアテを飼っていた時の水槽で飼えばいい、と夫から言われたけれども、私はゴリアテが死んだ後からっぽの水槽を見るのがつらくて捨ててしまったので、コーナン(ホームセンターの名)まで自転車をカッ飛ばして新たに水槽を買いに行かなくてはならなかった。

カッ飛ばしながら、それでもやっぱりもう泣くのは嫌なので、愛着が湧かないように名前をつけないでおこう、と思ったけれども、息子が「アストラ」と名付ける、と言ったのでその瞬間にヤドカリはただのヤドカリではなく寺地アストラという存在になってしまった。アストラというのはウルトラマンレオという頭の形状が個性的な人の弟の名で、アストラのほうは頭の形状がそんなに個性的じゃない。

 

アストラを飼いはじめて数日経過した頃に夫が、このアストラはヤドカリの中でも特に怖がりな性質っぽい、と言った。「ちょっと人が水槽に近づいただけですぐ隠れる。コーナン(ホームセンター)にもヤドカリを売っていたがそいつらはもっと悠然としていて、顔を近づけて凝視しても動じなかった」とのことだった。

かくいう私も人間の中では特に怖がりな性質っぽい。漢字でいうと髑髏(どくろ)という字がごちゃごちゃしてて怖いし、息子の劇の発表会で市民会館みたいなところに行った時も天井から吊り下がっているミラーボールが落ちてくるんじゃないかと思ったら怖くて劇の内容が全然頭に入らなかった。演目は浦島太郎だったけど、太郎ひとりに対して乙姫が五人ぐらいいたから、なんか斬新な内容だったように思う。でも詳しくはわからなかった。ミラーボールのせいで。

怖がりな私は怖がりなヤドカリに親しみを感じてしまった。気づけばうっかりアストラちゃん、とか呼んでしまっている。

 

アストラを怖がらせてはいけないので、エサであるポップコーン(ヤドカリ用)を与えた後は二メートルぐらい離れたところからオペラグラスを用いて観察することにした。いろんなものを食べさせるべし、と本に書いてあったけどアストラはわりと偏食で、果物とか野菜には手をつけない。いつも好き嫌いはいかんよ、と叱っている。(二メートルぐらい離れたところから)

ヤドカリ用ジャングルジムみたいなのも水槽内に設置しているが、どうやらアストラは非常にどんくさいらしく、しょっちゅうそこから落っこちる。ひっくりがえってアワアワしたり、拗ねたみたいに手足をひっこめたりしている。そんなところにも親しみを感じてしまう。親しみすぎて逆にアストラさん、とか呼んでしまう。

 

アストラが死んだら、たぶん私はまた落ちこんでふかし芋を食いながらめそめそ泣くのかもしれないけど、その日まできちんとお世話をして、かわいさを胸に刻んで、そうしていつまでもアストラのことを覚えておきたい。怖がりでも、どんくさくっても、それでも私たちはちゃんと生きている。とか思う。