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私の先生

スティックパンを食べていると時折猛烈にものがなしい気分におそわれることがある、ということを書こうと思って記事を書く画面を開いたら、今週のお題「思い出の先生」というのが目に入ったので急遽予定を変更して亡くなった先生のことを書こうと思うよ。ごめんなさい思います。

ちなみにスティックパンというのは六本とか八本ひと袋に入ってるあれのことで、よくパン売り場で安値で売ってるやつ、あれをもそもそ食べていると私はよく泣きそうになるのです。なぜだかわからない。息子とふたりで分けてもたいてい一本か二本あまるからあのしかくいやつ(たしかバッグクロージャーという名)でとめて台所に置いておくんだけれどもその袋がべしょんとなってるさま、べしょんの中におさまっているスティックパンの心もとない感じ、それがまたものがなしくて私はいちいち泣きそうになるとです。寺地です。

 

先生といっても実は私はその人に会ったことがありません。でも私の育った村で長いこと中学校か小学校の先生をしていた人なのでみんなから先生と呼ばれていて、だから私も先生と呼んでました。

先生は私の亡き父の知り合いで、先生の奥様は私の母の友人です。せまい村ではなんか誰の息子やら娘がタロイモを食い過ぎたとか髪型のアシンメトリー具合が過ぎるとかいうようなつまらないことでもいちいち噂の種になってしまい、だから何年前だったか私がある小説の賞の選考に残って落ちたという話もあっという間に広まってしまったようで、私は恥ずかしくてもう二度と故郷に帰りたくないと思ったのですが、噂を聞いた母の友人のひとりが高級なハムを送ってくれたり「春菜がんばれ」という手紙をくれたりもしたのでもうちょっとだけ頑張ろうと思えたし、名前の漢字がめちゃくちゃ間違っていることもあえて指摘しなかったという記憶があります。

先生もそのようにして、私に手紙をくれた人でした。どえらい達筆で便箋数枚に渡って「貴殿の文学へのあくなき挑戦を知って感激し云々」というようなことが落選作品の感想とともに書いてありました。

私は、現在八十代のもと学校の先生にどういう返信をすれば失礼にならずに済むか、ということでその後数日間頭がいっぱいでした。私は小学校の時「動きかたがぐにゃぐにゃしている」という理由で担任の先生に襟首を掴まれて壁にボゴンされてアビャンとなって以来、学校の先生が怖いのです。

なので『人にきけない手紙の書き方』というような本と首っ引きで当たり障りのない内容の返事を出しました。

その後二年近くにわたり、先生と私はお手紙と年賀状のやりとりをしましたが、毎回私は当たり障りのない言葉しか綴ってこなかったように思います。

私が二度三度と賞の選考に落ちたと知るたびに先生はハガキをくれ、そこには細かい字でびっしりと激励の言葉が並んでいて、ありがたいとは思いつつも、時にはちょっとだけうるさいな、と思ったりもしました。ポプラ社小説新人賞をいただいた時にも先生はお祝いのハガキをくれて、けれどもそこには「初志貫徹のために最初に応募した賞に挑戦を続けるべきだ」などと書いてあり、私はそんなことできるわけねえだろうがと思いました。それは私の「べき」じゃない、先生の「べき」だよ、とも。

先生は今年の五月に倒れて病院へ運ばれ、けれどもなんとか持ちこたえて、六月に出た受賞作の本をすぐに手にとってくれたらしく「楽しみに読みます」というハガキをくれて、私は「本に読者カードというのがはさまっているので『最高でした。大傑作』みたいなことを書いて出版社のひとに送ってください」というプライドもクソもないような内容のハガキを出して、それが最後のやりとりになりました。数日後に、先生はふたたび倒れて、そのまま亡くなったそうです。

お葬式には行けないので弔電を打つことにしましたがその時も私はうっかりマナー違反なことを言ってしまいそうな気がして、あらかじめ定められている文例からいちばん自分の気持ちに近いものを選んで、エヌティーティーの人にお願いをしました。

お葬式の翌日に母から電話がかかってきて、あんたの弔電が読み上げられていたよ、と教えてくれました。たくさん届いていたけど、わざわざ奥様が私のを、と指定してくれたのだそうです。主人ははるなさんのことを、ほんとうにずっと応援していたから、と奥様が仰っていたと聞いて、受話器を耳に当てたまま、声を出さずに泣きました。つたない言葉でもいいから、ちゃんと自分の言葉で伝えればよかった、先生に。

 

先生とは、一度も会ったことがありません。勉強を教わったこともありません。でもとても大切なことを教わりました。私はあなたの生徒だと、勝手にこれからも名乗り続けると思います。先生、あなたは確かに私の先生で、私はあなたの最後の生徒です。