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ミサイルと毛蟹太郎および小説すばる8月号

保育園への送迎に自転車を利用しているのですが、後ろに座っているおもちくん(息子)が「前方からミサイルが飛んでくるのをよけながら走る」という設定で走ってほしい旨の要求をしてくるので、めんどくせえなと思いながら毎日見えないミサイルをよけつつ自転車をこいでます。
「素敵なお母さんになりたい」というようなキーワードで検索してくる人がほんとうに多いので、めんどくせえなとか書いてはいけないと思ったんですが、我慢できずに書いてしまいました。ごめんなさい。次回からは息子と一緒に庭で育てたプチトマトを食べたら夏の太陽の味がしましたみたいなきれいなことを書こうと思います。庭無いけど。プチトマト育ててないけど。


ところで最近「自分の本が書店に並んでいるのを見るのはどんな気持ちですか」と訊かれることが多くなりまして、私はたいていは無難に「嬉しいです」と答えておりますが、正確に答えるとしたら「娘を物陰から眺めている時の毛蟹太郎(仮名)の気持ち」です。

毛蟹太郎というのは私の脳内に住んでいるおっさんで、ろくでなしであるために妻が愛想をつかしてひとり娘をつれて出て行ってしまい、現在は西陽のあたる六畳一間のアパートでひとり暮らしをしとるのです。
娘とはもう15年ぐらい会ってなくて、でもある時街のチャペルで娘の結婚式がとりおこなわれることを知った毛蟹太郎はボロい自転車をこいでそれを見に行くんですけど、ひとこと「おめでとう」を言おうと思ってキコキコとペダルをこいでいくんですけど、遠くから見た娘は信じられないほど美しく成長していて、たくさんの人に囲まれて祝福されて幸せそうで、毛蟹太郎は「今俺がノコノコ出て行ったら、娘は『え、これがおとうさんなの……?ヤッダ!なんか小汚ーい』みたいに皆から思われてしまう!」とかビビってその場に立ちつくしてしまうのです。
だから毛蟹太郎は物陰から両手を合わせてただそっと娘の幸福を祈るのです。書店で本を眺めている時の私というのはだいたいそんな気持ちです。毛蟹太郎は私で私は毛蟹太郎なのです。俺があいつであいつが俺でなのです。
というのが前述の質問に対する正確な答えなんですけれども、今こうやって文章にしてみたらあまりにどうしようもない内容だったので、言わなくてよかったなと心の底から思いました。


最後になりましたが、7月17日(金)発売の小説すばるの8月号の『思い出ステーション』というコーナーに私のエッセイみたいなものがたぶん載ってるんじゃないかと思います。載ってなかったらごめん。おわり。

小説すばる 2015年 08 月号 [雑誌]