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悩みは特にありません。

でも性格は暗いです。

かたち

【第0回】短編小説の集いのお知らせと募集要項-Novel Cluster’s on the Star!に参加しました。

その写真の束はアルバムの「結子 小学校入学式」の頁と「結子 海水浴」の頁のあいだに挟まっていた。随分古いものらしく、写真を束ねた輪ゴムは劣化してちぎれ、写真の表面にはりついていた。
二十八年暮らしたこの家を、来月には出ていくことになっている。新居であるマンションには既に結子の婚約者が先に引越しを済ませ、生活をはじめている。
持っていくもの、捨てるもの、残していくもの、の三種類にわけるために押入れを開いて、まずアルバムを発見してしまった時点で選別作業は頓挫し、「結子 0歳」の頁から懐かしく眺めはじめて、気が付いたら三十分以上も経過していたのだった。

挟まっていた写真は全部で六枚ほどあり、すべて結子の母がひとりで写っているものだった。二階から降りていって台所で鍋を掻き回していた母に差し出すと、母は写真を顔から遠ざけたり近づけたりしながらしばらくそれらを眺めたのちやがて「間違えてそっちに紛れ込んでいたのね」と頷いた。

「懐かしい」と呟きながら母はそれを居間のテーブルになにやらいそいそと並べはじめる。隣に座って眺めているうちに、気付いた。写真の中の母はいずれも林檎をひとつ手に持っていたり、林檎の入った籠を抱えていたり、傍らに林檎が飾ってあったりする。まるで「林檎と私」というテーマで撮影したのかと思うようなものばかりで、さらに写真の日付は全て十月三十日、毎年同じ日に撮影しているのは一体どういうわけかと結子が尋ねると、母は肩をすくめて笑う。
「毎年結婚記念日に、おとうさんが買ってきたの」
「林檎を?」
「そう」
 最初の年はひとつだけ、お金があんまりなかったから。と母は一番端の写真を指差す。それからだんだん林檎の数が増えていって最後の年にはこれ、と指さした写真にはこぼれんばかりに林檎の盛られた籠を抱えた母が笑っている。それまでの年よりも全体の輪郭が丸いのは、お腹に結子がいたからだと付け足す。
「いやだから、なんで林檎?」
「そりゃおかあさんだって思ったよ、なんで林檎? って。ふつう花束でしょうって」
 父は「花はきれいなだけでいずれは枯れる。赤い薔薇なんて貰ったってどうせ飾っておくことしかできないだろ、その点林檎なら飾っておいてもきれいだし良い匂いもするし、飽きたら食べられる」と得意顔をしていたらしかった。
「それに」
「それに?」
「林檎だって赤いし、って言ってた」
 お父さんってずれてるの、女心というものを絶望的に理解してないのよ。と言うが、写真の中の母はどれも嬉しそうに笑っている。
「そのわりには嬉しそうだけど」
「だってお母さん林檎好きだもん」とむきになるところを見ると、どうやら照れているらしかった。

結子もまた、自分の父を「ずれている」人だと思っていた。座右の銘は『実るほど頭を垂れる稲穂かな』で、会社の忘年会の日にも午後九時に帰宅してくるような人で、おそろしく無口なくせに半年に一回ぐらい駄洒落のようなことをぼそぼそ口にするがそれがちっとも面白くない、そういう人だと思っていた。服装に無頓着なくせに運動会の時だけ張り切って派手な黄色のTシャツなど着てきて悪目立ちする、しかも保護者リレーで派手に転ぶ、そういう人だと思っていた。
中学生になった頃から急激に父の存在が鬱陶しく感じられてきて、その感覚を現在もまだ引きずっているようなところがあり、だから結子は家では殆ど父とことばを交わさない。
何を考えているのか、よくわからない。わからないからとりあえず無視してしまう。そういう存在だった。

お見合いで知り合ったらしいが、母を気に入った理由が「頑丈そうだったから」というもので、それを聞いた時母はたいそう落胆したらしい。結子は「『頑丈そう』って、通勤鞄じゃないんだからねえ」と子どもの頃から何度も何度も聞かされて育った。
結子の目にうつる両親の関係には睦まじさ、甘やかさといったものが一切感じられず、傍で聞いていて会話がまったく噛み合っていないと感じることも多々あり、やはりお見合いで特別好きでもない相手などと結婚するとこうなるのだ、私は絶対に恋愛結婚を遂げて愛のある暮らしをしよう、などと心に決めてさえいた。
だから「記念日の贈りものをする」というような行為を父がしていた、しかも何年も、というその事実に結子は驚いた。それが花や宝飾品ではなく林檎だという、大変にピントのずれたものだったとしても。
「林檎ばっかりこんなに食べられないって言ったら、翌年から買ってこなくなっちゃったけどね」
写真をかきあつめ、新しい輪ゴムで束ねながら母は言う。
「たぶん傷ついたのね。男の人ってナイーブだから」
 面白くないし女心がわかってないしおまけに傷つきやすいなんて、一番扱いにくくて困るタイプのおっさんではないか、と思いながらも結子は黙っている。かわりに「お母さん、幸せだった?」と尋ねてみる。
何いきなり、とたじろいだ母は頬に手をあててしばらく考え、それから不自然な程無表情な顔を上げて「悪くなかった」と答え、台所に戻っていった。
二階にあがろうとする結子の背中に向かって、母の声が追いかけてくる。
「悪くなかったよ。お母さん『ベターハーフ』っていうのに憧れてたこともあったけど。ほら、もとは天国でひとつだった魂が地上に降りるとき別れ別れになるっていうあの話、何かで読んで。そういう相手と現世で巡り合えたら身も心もぴったり相性が合うっていうの」
喋る声に、葱を刻む音が混じる。どうやら母にとっては何か作業をしながらでなければ話せないような気恥ずかしい事柄であるらしいので、背を向けたまま結子はそれを聞く。
「おとうさんはぴったり合う相手じゃなかったけど、ぜんぜん違ったけど、でも、悪くなかった」
 はじめからぴったり合うかたちではなくても、日々の暮らしのなかでひとつの新しいかたちを作っていく、あるいは徐々にお互いのかたちを変容させていく、そういう風な結婚も悪くないのではないかという、だいたいそんな風な趣旨のことを、母はいつまでもいつまでもしつこく葱を刻みながら語った。
「結子たちは、どんなかたちを作っていくんだろうね」
 振り向くと、母は横顔をこちらに見せたまま微笑んでいる。
「そうだね」とただそれだけ答える。それ以上言うと泣いてしまいそうな気がするから。

来年の春に、結子は結婚式を挙げる。お世話になりました、なんて言ったら父も母も、やっぱり泣くのだろうか。結婚式の前には父の誕生日がある。ことし還暦を迎える父に林檎を贈ってみたらどんな顔をするだろう。赤いからちょうど良いでしょ、とからかってみようか。その前に、今日まず父が帰ってきたらおかえりなさい、と言おう。なにを話せばいいかよくわからないけど、離れて暮らす前に、すこしでも話をしておいたほうがいいような気がする。