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悩みは特にありません。

でも性格は暗いです。

インフルエンザ

インフルエンザになった。10月末に予防接種を受けていたが、そろそろ効果が薄れるのかな、というこの時期に見事にかかった。日曜から具合が悪かった。今日は水曜で、随分マシになった。

ところで私がちょっとしたトラブルにあったとか体調不良のことを書くと「悩みは特にありませんとか嘘じゃないか!悩みあるじゃないか!」と鬼の首でも取ったように言ってくる人がいて、普段から読んでくれているわけでもなさそうなのにそういう話題の時だけ絶対出てくるから不思議だな、と思っている。私はちょっとしたトラブルや体調不良は生きてたら必ずあるものだと思っているので「悩み」にはカウントしてないです。
「あらゆる手を尽くしても尚状況が改善されず、常時そのことが頭を離れない」という事柄だけを悩みと呼んでます。

今回ほんとにしんどくて、月曜の朝に病院が開くまでの時間(20分ぐらい)ちょっと休んどこ、と思って目を閉じたらそのまま動けなくなってテーブルとおもちゃ箱のあいだの50センチぐらいの隙間で数時間眠って(倒れて?)いて、結局午前の診療時間ギリギリになってしまい病院の人たちに申し訳なかった。
その翌日もちょっと動いただけで肩で息するような状態で、あまりのしんどさに洗濯物を干しながらちょっと泣いた。

あと頭というか鼻から上が全体的にズキズキと痛むというか、いやあれはズキズキではなかった、ズキュンズキュンだった、特に目が脈打つたびに激しく痛んで「飛び出せ! 眼球!」みたいな感じで、ほんとに飛び出してきたらどうしようみたいなことをわりと本気で何回も思った。
夫のお母さんがお夕飯を作って届けてくれたり、保育園の送迎をしてくれたりして、ものすごくものすごくありがたかった。

2月中旬から書きはじめていた小説を3月末に書き終えた。400字詰原稿用紙400枚分ぐらい。(私は勢いに任せて書いた後に時間をかけて何度も書き直すタイプなので完成形には程遠いけど)
明確なしめきりが定められていたわけでもなく、この日までに送ります、と自分自身が示した期日、というのがあるだけで、それもまだ先の話で、だからそんなに急いで書く必要は全くなかったのだが、個人的に焦る事情があって必死こいて書き続けてしまった。睡眠時間を削って、というよりは例えば21時に息子と一緒に寝ても2時か3時に「ハッ!書かな!」と自然に目が覚めるような案配であんまり健康的な生活とは言えなかった。
その結果見事にインフルエンザにやられてしまい、しかもそうなるまで自分がそれぐらい疲れている、弱っている、ということがわかっていなかった。

やっぱり毎日7時間半ぐらい寝る生活に戻ろう、と今は思っている。いや思い出したけどちょっと前までは9時間ぐらい寝てたんだったわ。それは寝過ぎだわ。

というわけで皆さまもインフルエンザ的なものにはお気をつけください。あいつら4月になってもまだまだ活動してますぜ。

太てえよね。

親知らずを抜いたんだ。先週の金曜日にさ。右下に生えてたやつをさ。横向きに生えていやがった。20年近く生えっぱなしにしてたものをなんで今更抜くことにしたかってえと、新しく通い始めた歯医者さんで「抜いとく?」って言われたからなんだけどね。
「横向きに生えてるから磨きにくい」という話をしたらさ、「抜いとく?」て。後頭部に白髪一本あるよ、みたいな気安さで言われたからさ、つい「あっハイ」て答えちゃったよこっちも。
早々にこの文体にも飽きたからしれっといつもの感じに戻りますけど口のいちばん奥の歯を抜くというのは大変ですね。しかも横向きだから全然抜けなくてよう。

私も最初は顔にかけられたタオルの下で無意味に白目むいたりしながら「あぁ~今この部屋にいる中で、私が白目向いてることを知ってるのは私ひとりなんだナァ」と感慨に耽る遊びをしてましたけど、あまりにキュインキュインゴイゴイキュインキュイングイグイシュゴゴゴゴーが終わらないもので、終わらないシュゴゴゴーだったもので、だんだん不安になってきて、まだ終わらないの? まだなの? 偉大なるシュゴゴゴン? とか思いはじめて、まさかこの世の終わりまで私はこの椅子の上でシュゴゴゴンし続けるの? シュゴゴゴンで一生を終えるの? という不安でいっぱいになりした。
シュゴゴゴンはあの唾液を吸う器具のことです。名称がわからねえからさ。「危ないからちょっと舌押さえますから」と言われてあの器具で舌を強く押さえられて吐きそうになりました。たぶん無意識のうちに舌をめまぐるしく動かしていたんだと思います。タケコプターぐらい。


歯医者の先生も最初は「大丈夫ですよ、怖くないからね、力抜いてね」とか優しく囁き続けてくれていたのですが、あんまり抜けないもんだから最終的には「チッ!」って言っちゃってました。
あんた今舌打ちしたやろ! したやろ! 絶対したやろ! と思ったけど言えなかった(舌を押さえられていたから)

そんな感じでなんとか歯を抜いてもらい、チクチク縫うてもらい、「腫れるよ。熱も出るかもね。でも腫れるのは普通だからあわてて電話してくんなよ、明日休診日やし(意訳)」と言い含められて帰ってきましたけど、2日ぐらいはまともに食べられないものですね。片方のみで噛むのが辛いというよりは口が2センチ程度しか開かないのが不便でした。ほんと、郵便ポストの手紙いれるとこぐらいしか開きませんで、ええ。

3日目からは痛いながらもいちおう固形物が食べられました。
「痛い……でもおいしい……痛い……」と言いながら食事をする私を見て知人が「私は親知らずを抜いたあと一週間ぐらいまともに食事ができなかった。寺地ってたくましいっていうか、マジ太てえよね」みたいなことをすげえ得意気に小鼻をふくらませながら言ってきたので、親知らずを抜いたあとのまともに飯食えない日数が長いほど人間界では優位に立てるのか! ユリイカ! と思いました。明日抜糸です。

過去ダー

息子が仮面ライダーにはまってはまって浜村淳になってしまい、過去の仮面ライダー(以下過去ダー)をすべてを見る、なんぞと言い出して約半年、我ら親子は近所のレンタルDVDの店に毎週通いつめている。
このあいだついに「いつもありがとうございます」などと言われてしまい、イヤー!覚えられてるー!完全に顔覚えられてるー!ギャーン!となった。

私はどこかの店の常連みたいになるのがイヤだという気持ちがあって、イヤン・マクレガーだと思っていて、だからギャーンとなってしまい、もう来週から行きたくねえと思うけれども、息子はまだ仮面ライダーのドライブと鎧武とウィザードとフォーゼとディケイドと電王しか見ていないので、過去ダー全制覇にはほど遠く、我らはまだまだあのレンタルDVDの店に通わねばならない。心がパサついている。私の心のキューティクルが剥げまくっている。

大阪に出てきていちばん嬉しかったことは、どこに行っても誰も私のことを知らない、ということだった。風景の一部みたいになれるので、気が楽だった。
地元では本屋で立ち読みをしていたら翌日誰かに「あんた昨日『ひざまづいて足をお舐め』っていう本読んどったやろー」とか言われるので、エスエムに興味があるのですね、みたいに決めつけられてめんどくさかったりして、ないのに、ないのに、ちょっとだけしかないのに、とか思って、とにかくあーあ嫌だなーとか思っていた。

というわけで私は「顔を覚えられる」というのが苦手なのだけれども、かと思いきや「わー覚えててくれたんだウレスィー!」と感じる時もあって、なんでやろ、と考えたところ「相手(あるいはその場所)に対する私の好意の度合いのもんだい」という身も蓋もねえ結論に達しました、おやすみなさい。

WEB astaで短編が公開されておる

ポプラ社のサイトで『ミナトホテルの裏庭には』のスピンオフ短編『魔法なんてここにはない』が読めるようです。

ポプラ社がお届けする ストーリー&エッセイマガジン | WEB asta(ウェブアスタ)

Twitterなどでちらほらと「読んだよー」と声をかけていただいて、ほんとにありがたく思っておりますです。堀内孝雄ばりに「センキュー!!!」って絶叫したい気持ちでいっぱいです。そんな影法師~(センキュー!!!)ってな。ところであの方はなんでベーヤンて呼ばれてるの?っていう話を以前に夫としていて、その時Wikipediaかなんかで調べて、そこに書いてあった理由を読み上げて、ヘェ~って感心してついでにふたりで夜更けまでゴーゴーを踊ったような気がするんですけどベーヤンの由来を覚えてないので、そういう気がするだけかもしれません。あとベーヤンという字面はトーベ・ヤンソンを連想させますね。

新しい小説にとりかかると頭がそのことでいっぱいになるので、そうやって「読んだよー」と言ってもらえると「ああ本が発売されたんだなあ」とやっと実感できて、うれしくなります。

頭が新しい小説のことでいっぱいになっていても、それにかかりきりになるわけにはいかず、日常はきちんとこなさなければならないわけで、いろんなことを取りこぼさないよう、どんな些細なこともノートに書き出して、それが終わるごとに線で消していく、という方法でなんとか日常をこなしております。

なにかに夢中になる時というのは、自分で掘った穴の中に入っているような感覚があります。その他の物事が全部頭の上を通り過ぎていく。頭上でなにが起こっているか理解はしている、穴の中から応えることもできるけれども、遠く感じます。楽しいことも面倒なこともかなしいことも、「あー……そうですか……」という感じに。それが良いことなのかどうかはよくわかりません。ただもっともっと深いところにおりていきたい、といつも思います。

見つからなかったけどよく見たらあった。

一月に(株)はてなさんでインタビューを受けたのですが、その記事が公開されたようなのでよろしければどうぞ。

 

寺地はるなさん「言葉は使わないと、どんどん枯れていく」【私とブログ Vol.2】 - 週刊はてなブログ

 

おもにブログと小説のことを喋ってます。取材がはじまる前にお昼ごはんをごちそうになったのですが、お料理を受け取る場所の手前にある、人が近づくとセンサーが感知して消毒液をプシュッてする機械がかっこよかったです。

 

『ミナトホテルの裏庭には』が発売されました。いつも行く書店に勇んで見に行ったら見つからなかったので「ない!!! ピギャー!!!」と思ったらめっちゃ目立たないところにひっそり置いてありました。よかったー。あったー。

『ミナトホテルの裏庭には』、いったいどんなお話なのですか、と尋ねられることがよくあります。私は、友情のおはなしです、とお答えしていますが、親と子の話である、と思う人もいるかもしれません。適度な休息は大切だ、という話だと思う人もいるかもしれません。それはもう自由なので、好きなように読んでもらって構わないです。

物語は読む人が存在してはじめて成立します。読んだ人が作品にいちばん最後のいろどりを与えるものなのだと思います。ふたつの種類の絵の具をまぜる時に、もとの色よりもっときれいな色ができることがあります。あんなふうに、私の書いた物語を読んでとても素敵な感想や導き出した答えを伝えてくれる人が、たくさんいます。そういう時、私はいつも、私の書いたものが良かったのではなく、読んだその人の絵の具がもともときれいだったのだろうなあ、というようなことを思ってます。ますます。

 

 

 

 

 

『ミナトホテルの裏庭には』がたぶん明日発売、あとゴリラ

息子が突然「僕ゴリラと結婚する!」というとんでもねえ宣言をしやがりまして、どうすんでい一体どうすんでいと右往左往してるあいだに2月15日になりました。『ミナトホテルの裏庭には』は、たぶん明日発売です。買ってください。めちゃくちゃ直球で頼んでみました。買ってください。
話は戻りますが、ゴリラを嫁にもらうといろいろ困りそうですよね。たとえば私が一生に一度は言ってみたいセリフであるところの「おお、このお味噌汁のしょっぱいことしょっぱいこと、嫁子さんはあたしを殺す気かえ~」を言ったとします。
でも嫁子はゴリラですから、いかんせんメスゴリラですから、それを聞いてもどうせ「ウホウホ」としか言わないんだろ?
寺「ちょいと嫁子さん」
嫁「ウホ」
寺「このお味噌汁の……」
嫁「ウホウホ」
寺「……こ、この、おみそし」
嫁「ウッホ!ウッホ!」
ってさ。テーブルに乗って味噌汁椀なぎ倒す勢いでウホるに違いないから。困るゥ~。ウホるゥ~。
そもそも嫁ゴリラはお味噌汁をつくれるのか、寺ゴリラはそれが心配です。ウホウホ。

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金曜に東京に行って『ミナトホテルの裏庭には』のことでインタビューンをされたり、三作目以降のことを打ち合わせしたり、あと駅で「新幹線の改札はどっちですか」と尋ねたけど返答がないので「東京の人は無口だねェ~」と思っていたらただの柱だったのでひとりで恥じるみたいなことをしました。だって……家を出る前にメガネが……壊れたから……バキッて……。

本の横にあるのは書店さん用のPOPだそうです。見せてもらった時に「いいね!いいね!猫かわいいね!」と何回も言っていたら一枚くれました。やったー。せっかくなので玄関に飾りました。和歌山のアドベンチャーワールドに行った時に夫とふたりでパンダのかぶりものして撮った写真があるんですけどそれと並べてます。パンダと猫と寺地と寺地で玄関がにぎやかです。ちょっとした動物園です。ゴリラはいません。(今のところは)

『ミナトホテルの裏庭には』のこと(帯の話とか)

『ミナトホテルの裏庭には』の帯は宮下奈都さんにお願いしようと思います、という話を聞かされた時、ああそうなったら嬉しいけどまあお忙しいだろうし、あんまり期待しないでおこう、と思いながら、とりあえず書店で『羊と鋼の森』を買ってきて読みはじめた私は、こんなに美しく静かで、それなのにたしかな強さがある本にはじめて出会ったぜよと思い頁をめくる手がブルブル震え(心が震えると身体も震える体質)、もし帯の件を断られてもその話がきっかけでこんなに素晴らしい本に出会えたのだからそれで充分だ、とかなんとか思っていた。
「才能」というものについて惑い、あるいは怯え、あるいは激しく欲し得られずに絶望した、というような経験のある人は、読むときっと心打たれ、そして背中を押された気持ちになるのではないでしょうか。とか思った。
『羊と鋼の森』を三度ほど読み返したところで担当のひと(よそよそしい呼びかただが名前を出してよいのかどうかわからないので)から「宮下奈都さん、ご快諾いただきました」という連絡をもらい、ウッヒョーてなもんで、ワッピャーてなもんで椅子から立ち上がって飛びはねたりクルクルまわっていたら腰がグキッとなり、痛え痛えと苦しみながらも喜びの瞬間をTwitterでつぶやくことだけは忘れなかった。

(Twitterはりつけがなんかうまくいかなかったので、内容は適当に想像してください)

宮下奈都さんといえば『神さまたちの遊ぶ庭』という本の表紙がとてもかわいいなあ、と思っていたのだけれども、それを描いた布川愛子さんに『ミナトホテルの裏庭には』のカバーイラストを担当してもらえると知った時も嬉しくて鼻血がブシャーと出そうだった。装丁は鈴木久美さんで、カバーだけでなく目次やその他の頁もかわいくて、ぱらぱらっとめくってみるだけでなんか楽しくなる。

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布川愛子さんには『asta*』3月号に載せてもらった『魔法なんてここにはない』という短編のイラストも描いてもらっている。これがまたかわいくてよー。(鼻の穴にティッシュを詰めながら)

『ミナトホテルの裏庭には』に花岡さんという娘さんが出てくるのですが、『魔法なんてここにはない』の主人公はこの娘さんです。なお魔法のiらんどとは一切関係ありません。

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『asta*』3月号には藤田香織さんによる『ミナトホテルの裏庭には』のレビューも載っていて、これをぜひ多くの人に読んでほしく思う。なぜなら私がほめられているから。ほめられているから。

藤田香織さんはデビューした時にはじめてインタビューをしていただいたかたで、その時に聞いた話を私はすごくよく覚えていて、気分が落ちこみそうになるとその話を思い出したりしていて、だから2作目のレビューを書いてもらえたことも、宮下奈都さんと共に帯文を書いてもらえたことも、すごくうれしい。なんかこう「うれしいなァ……(ニヤニヤ)うれしいなぁ……(帯を眺める)」みたいな、すごく気持ちの悪い喜びかたをしている。

あんまり内容をくわしく書くわけにもいかないけれどもとりあえずあと4回ぐらいは本の話をしたいので次回までになにを書こうか考えておこうと思うニャン。