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悩みは特にありません。

でも性格は暗いです。

アピャーつってね。

『月のぶどう』という本が来年の1月に出ます。なんどもなんども書き直したので、けっこう時間がかかってしまいました。

 

私はむだにかっこつけたがりなのでほんとうは「原稿? サラサラ~っと書いてますね。ハッ」とトレンチコートの裾をはためかせながら言い放ちたいのですが、今回はめちゃくちゃ書くのがしんどかったので100回ぐらい「しんどかった」て言って各方面に「ウンウン、えらかったね~」と頭を撫でまわされたいです。(39歳です)

大阪でぶどうを育ててワインをつくっているふたごの姉弟のお話です。大阪の柏原市羽曳野市はぶどうの産地で、実際いくつかのワイナリーがあって、何度かお伺いして醸造所や畑を見せていただいたり、お話を聞かせてもらったりしましたが、地名等については架空のものを使用しています。人物・エピソードに関しても特定のモデルはいません。

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プルーフというものを作っていただきました。本ができるまえにつくる見本みたいなもの、と聞いていたのでもっと適当な感じだと思っていたら普通に本だったのでびっくりしました。アピャーつってね。

 

順風マンボ

永遠に終わらないのかもしれないと思っていた十月が、今日終わるらしい。なにげなく入力したブログの一行目がなんか小説っぽくなっていたので、私はそんな自分にイラっとしました。気取るな。

なぜ永遠に終わらないかもしれないと思っていたのかというと「10月中にやり遂げねばならぬこと」がなんか頭上にジャンゴジャンゴと降りかかってきてしんどかったからで、忙しかったのならはやく過ぎそうなものだけど、自分以外の人が下す決定をジト目でじっと待つ(若干のダジャレ感)しかない時間も多く含まれていて、だから私の10月は体感的にネバーエンディングストーリーだったのです。

11月中旬までで会社を辞めねばならん(Not解雇)し、年内に引っ越しをせねばならん。来年には新しい本が出る。来年には子どもが小学生になる。 10月が終わっても「やり遂げねばならぬこと」はモリモリあるのですが、今のうちに準備できることはもうやり尽くしていて、気ばかりが焦るのです。アゼルバイジャンアゼルバイジャンは焦るの予測変換で出てきました。あんたの出る幕じゃねえよ引っ込んでろよと思ったけど、アゼルバイジャンがさびしそうにしていたので「……ちょっとだけならいてもいいよ」って思ってしまいました。私はさびしそうな人をつい甘やかしてしまう、そういう甘やかしバイジャン的なところがあるので気をつけたいです。

焦るバイジャンが過ぎて最終的に全部ほったらかして『リルリルフェアリル~妖精のドア~』という女児向けのアニメを録画してくりかえし見たりしていました。私の肩には常に妖精がちょこんと座っているという空想で現実逃避もしてしました。 思えば私はこの手の空想が昔から得意な現実逃避バイジャンでした。十五歳ぐらいになるまで空想上の友達がいました。名前はあゆみちゃん。

今でも「あゆみ」という名の人を見ると「あゆみちゃんと同じ名前だ……」などとしみじみと思ってしまいます。いしだあゆみとか見るたびに思う。あー、あゆみちゃん、「順風満帆」を「じゅんぷうまんぼ」と読んだあゆみちゃん、今頃どうしてるんだろ、元気かな……とかも思うのです。空想上の人物なのに。

「順風満帆」という言葉を見聞きするたび、私はあの時「まんぱんって読むんだよ、なんでマンボなの、なんで急にそんなラテンなの」ってあゆみちゃんと肩を叩きあってゲラゲラ笑ったのを思い出して、クスクス笑ってしまうのです。それからそのあと年賀状に私が「順風マンボな一年になりますように!」って書いて、新年早々あゆみちゃんから怒りの電話がかかってきたことなんかも思い出して、やっぱりまたひとりでクスクスって笑うし、すこしだけ涙が出ちゃうのです。おかしいですよね。だってそんな出来事、現実にはまったく起こってないんだから。 だけど笑って泣いた後、やっぱりあとすこしだけがんばってみよう、やれることをひとつずつやっていこうっていつも思うのです。いつか彼女にまた会えた時に「最近どう? 順風マンボ?」って、笑顔で言えるように。まあ空想上の人物だから会えないんですけどね。ぜったいにね!

鰆子さん

このあいだ私と同年代、つまり40手前の鰆子さん(仮名)とお話をしていた時に「なんか観てるドラマとかある?」と訊かれて、私はよし来たとばかりに「み、み、観てるよォ~『真田丸』をォ~」と前のめりになって答えたのですが、鰆子(呼び捨て)が即座に「アッこいつのこの目の輝きは真田丸について一時間ぐらい喋るつもりのそれやぞ」みたいな表情をして「ほかには?」と質問を重ねたので、しかたなく「『運命に、似た恋』というドラマの第一回を観ました」と答えました。すると「私も観てるよ」と言って今度は鰆子さんが前のめりになったのです。なんなんだよ。

 

『運命に、似た恋』というのは45歳で離婚歴があって高校生の子どもをひとりで育てている原田知世(かわいい)が斎藤工から壁ドンならぬ車ドンをされたりパーティーに誘われたりベランダからストールをふわっと投げてもらったりするドラマで、私と鰆子さんは「あれはやっぱり『私もこんな素敵な恋をしたいわ。キュンとするわ』と思って観ないといけないのだろうか。思えなかった場合は視聴を断念するしかないのだろうか」ということを真剣に話し合いました。

結果「どう思いながら観ようと自由だ」というめちゃくちゃ普通の結論に達したのですが、新たに「そもそも私たちは『キュンとする』を求めているのか」という疑問が生まれもしました。私と鰆子さんは家事と育児とお勤めで慢性的に疲れています。キュンなどとしている余裕がない。 あとついでに私は小説を書いていて、鰆子さんもあるものを作って売るということをしています。私の小説も鰆子さんの作品制作も好きでやっていることではありますが、それで収入を得ているため、時にはインターネットなどでボロクソに言われることもあります。 だから、泣きたい時も結構あるよね。でも泣く暇正直無いよね。というような話をしました。そんなわけで私たちに取り急ぎ必要なのはキュンではなく「べっぴんさんが台無しやでおじさん」を心に棲ませることであるという結論に達したのでした。よかったね。

 

「べっぴんさんが台無しやでおじさん」というのは、泣きそうな気分の時にどこからともなく現れるおじさんのことです。おじいさんでもかまいません。だいたい首に「タナカ酒店」みたいな文字の記してある白いタオルを引っかけてブラブラと歩いてくる。靴下を履いていないがそれは石田純一的なスタイルという意味ではなくて、下駄やつっかけサンダルを愛用しているという意味です。この場合クロックスは駄目。ブラブラと歩いてきて、泣きそうな私たちを見て「おっ」という顔をする。どないしたんやみたいなことも言う。そして「べっぴんさんが台無しやで」と笑ってポケットティッシュ(四隅がくしゃってなってる)を差し出して去る。それだけ。40手前の私たちを一瞬小娘に戻す、適当さと鷹揚さの絶妙なバランス。容姿をほめられる機会が極端に少ない小娘時代を過ごしてきた私たちの心を震わす「べっぴんさん」という魔法のフレーズ。これはもう絶対に涙が止まるよね、と鰆子さんと私は確信に満ちた様子で頷き合い、その場は解散となりました。

 

でもその後LINEで鰆子さんが「心の中に棲む『べっぴんさんが台無しやでおじさん』、寺地なら誰にやってもらいたい? 私は断然佐々木蔵之介!」と言ってきたので、鰆子さんあんたやっぱりほんとうはキュンとしたいのでは……? と思いました。

センサー

云ひたひことがあるならばはつきり云へと父に云はれて、へヱそういうことならと本音を伝へたらば即座に髪を掴まれて壁に頭をズドンされてモギャンとなって以来、云ひたいことは極力この胸に仕舞って生きて参りました。来年四十歳になります。

あんまり喋らないので人生損するでしょうと言われることも若い頃にはよくありましたがそんな性分でもわりと得することはあって、いつのまにやら「寺地は口が堅そうだ」というようなイメージが定着して、別に有能でもないし誠実でもないくせに「だからお前は信用できる」とか言われてえらい人に可愛がられて、お土産のおまんじゅうを他の人よりいっこ多くもらえたこともありました。おまんじゅういっこぶんの信頼です。ちっぽけだとお思いになりますか。そんなことはありません。

けれども最近、様子が違ってきているようです。
今日、スーパーマーケットで買いものをしていたところ、鮮魚コーナー、位置で言うとさんまと鮭フレークのあいだあたりに3歳ぐらいの坊やが座りこんでおりまして「ママがぎゅってしてくれるまでうごかへーん」などとかわいらしく駄々をこねておりまして、ママなる人は2メートルほど前方で困った顔をしているご様子でした。
「アラアラ、そんならおばちゃんが抱っこしたろか? モヒヒ」というようなことを私は思い、そしてそれをそのまま口に出してしまったようでした。しかもニヤニヤしながら。
坊やはギョッとした様子で(鮮魚コーナーだけに)立ち上がり、ママのところへ駆け出してしまいました。
妖怪抱っこしたろかババアと思われたかもしれません。妖怪抱っこしたろかババアってなんだよ。いねえよ。
でもそんなことはどうでもよいのです。発言内容がおばはん丸出しなこともさておく。問題は、私がそれを言うべきか言うべきでないかを考える前に声に出して言ってしまっていたということです。

私の体内の「言うべきか言わぬべきかセンサー」は壊れてしまったのでしょうか。今後は自分の思いをだだ漏れに漏れさせて生きていくしかないのでしょうか。この前所用で息子をオフィース街に連れていったとき、会社員の人たちを見た息子が「なんでこんなにおじさんがいっぱいいるの? おじさんのおまつりなの?」と言い出して肝をつぶしたのですが、私もそのうちあんなふうに思ったことを全部声に出すようになるのでしょうか。くさい匂いを嗅いだら即座に「うわ!くさ!」と叫んだり、仕事中に「なにかお手伝いすることはありますか?」と訊ねるべき時にも「なんか仕事あります? ないならお給料だけでもいいからください! お金ください!」とか言ってしまったりするのでしょうか。ヤダ!一大事!

つぶつぶベジタブルのほう

角川春樹事務所の『ランティエ』10月号に『恋の値段』という短編を掲載してもらっとります。

www.kadokawaharuki.co.jp

たまに本の感想などで「共感しました☆」という言葉をいただくのですが、なぜか今回は「共感など絶対にさせるものか! ヌギャー!!!」というよくわからない、しかし無駄に強固な決意のもとに書きました。『ランティエ』はたぶん書店さんとかに置いてあるんやないかなと思いますが、たぶん手に入らなくてもたぶん来年とか再来年とかにはたぶん単行本か文庫本になってたぶん発売されるんじゃないかと思います。たぶんだらけの水泳大会になっててすみません。ポロリはございませんのでご安心ください。

 

*

 

最近外でスマートホーンを開いていると、なにあのあれなの、ポケモンのやつやってんのみたいなことを言いながら画面を覗きこもうとしてくる人がいるのですが、私がスマートホーンを触っている時は八割がた久保田悠来さんのインスタグラムを見てニヤニヤしている時なので予告無しに覗きこむのはやめてほしいです。

あとこれはもう八月上旬の話なんですけれども近所の盆踊り大会に行きました。踊ると参加賞としてお菓子がもらえるということを聞いたのでそれを目当てにのこのこ出かけていきました。

息子は気恥ずかしいらしく、なかなか踊ろうとしなかったので、じゃあもう帰ろうか? と話していた時に60代ぐらいの見知らぬ女性に背後から両肩を掴まれ(私が)、「最後の一曲だから踊ろ!」みたいなことを言われてむりやり輪に入れられてしまい(私が)、息子は「お、お母さん! 待って!」と私の後を追って完全に巻き込まれ事故みたいなかたちで輪に入ることになったのでした。

外国の映画とかドラマであるじゃないですか、プロムとかの場面がね、あの「踊ってくれる?」みたいに手差し出される場面ね、あれ見るたびに「私たぶん今後、人からああいうふうにダンスに誘われることないんやろうなー。そもそもプロム行かねえし」と思って、時限爆弾の青いコードを切るか赤いコードを切るか迷う場面ぐらい遠い世界のこととして見てたんですけど、思わぬかたちで経験できたなと思いましたよね。ひと夏の経験でしたよね。ありがとう60代ぐらいの見知らぬ女性!

ちなみに踊ってるあいだずっと60代ぐらいの見知らぬ女性は私の背後にいました。車だったらおまわりさんに怒られるぐらいのベタ付けでした。もしかして私が天女のごとく華麗に舞いはじめたら「思ったとおりだわ……! この子には……才能がある!」とワナワナしたのちに自らが主宰する盆ダンスチームに誘う算段で後ろから見ていたのかもしれません。月並みな踊りしか披露できなくて申し訳ないです。誘われませんでした。あと参加賞のお菓子はサッポロポテトでした。

 

シュビドゥバと汗が出る

はてなブログをつかっているひとはわかると思うのですが、たまに「1年前はこんな記事を書いてました」みたいなメールが送られてきます。そのメールにのっているブログの記事の内容があまりにもバカなので「誰だよこんなの書いたやつえっ私かよモギャー」となります。モギャーとなるけれども「そうだこんなことがあったんだったなあ」と懐かしく思うのもまた事実で、やっぱり定期的に書いておこうかなと思った次第です。近況を。

 

 寺地さんはいつどのように小説書いてるんですかと質問された時にはいつも「子どもが寝てからです」と答えてたんですけど、ここ数か月は子どもと一緒に朝まで寝てることが多いので、なんか嘘ついてるみたいでやだねったらやだね(突然の氷川きよし)と思っていたのですが、最近ポメラを買いまして、いちばん新しい機種じゃなくて古くてちょっと安くなっているやつを買いまして、だから通勤中とか、ちょっとした合間に小説を書けるようになりました。今度からはスキマ時間に書いてますって答えればいいのですよね。スキマテラッチですってね。そうだろみんな。みんな!

使いにくい。不便だ。という意見も多く聞いたのでどうだろう、まあ使ってみらなわからんしと思って購入したのですが、私みたいな使いかたをする人には良いようです。小説を書き終えるスピードがはやくなりました。

あと手ぬぐいを買いました。三枚ぐらい。「にじゆら」という手ぬぐい屋さんでも買いましたし、ダイソーでも買いました。知ってます?ダイソー。 あそこね、100円にしてはちょっといいなと思ったらなんとびっくり300円だったりしますよね。300円ならいらないよ!プンだ!て思ったりしますよね。でも手ぬぐいは100円でした。よかった!!! これはたぶん夏のせいだと思うんですけど最近朝自転車で息子を保育園に送って行って自転車停めて駅まで歩く、これをこなしただけで相撲でもとってきたのかな? と思われそうなぐらい汗がダバダバ出るのです。シュビドゥバ出ると言ってもいいかもしれません。たまに街中でまったく汗をかいてない女の人とすれ違うんですけど彼女たちと私は汗腺の仕組みが違うんでしょうか。なぜ彼女たちの化粧は崩れていないのでしょうか。わからない!わからないよ!教えてよビオレさらさらパウダーシート!

汗拭いた後の手ぬぐいで手を拭くのは嫌だ、朝汗拭いたやつで夕方汗拭くのも嫌だ、とか思いはじめると鞄にタオルと手ぬぐいと合わせて6枚ぐらい入れていくことになります。ハンカチやミニタオルでない理由は、使える面積が大きいということと、いざという時にはほっかむりができるということです。ちなみにほっかむりは道端で会いたくない人とばったり会った時など、正体を隠したい時にすごく便利だヨ!サラバイ!(おわりかたが雑)

ガブッといけない問題。

私の前歯は一本折れている。折れた理由はここでは説明しない。とにかく折れている。差し歯で十数年以上の歳月を過ごしてきた。いつまでも終わらぬ地獄のような残業中も、恋人と過ごした甘く切ないひとときにも、賞に落ちて泣いたあの日にも、息子かられんげの花束を受け取った日にも、いつも私の口内には差し歯がいた。寺地with差し歯だった。

そんな夫よりも長いつきあいの差し歯を、新しくつくりかえることになった。いくら歯医者さんにそうすすめられたからと言ってそんな売れないバンドの人が有名になった途端に長年連れ添った糠糟の妻を捨てて若い女と結婚するみたいなことしていいのかなと思ったが「歯茎のかたちが変化しているので新しい歯が必要」らしいので了承した。仕方ない。人も街も変わっていくものだ。歯茎とて例外ではない。

というわけで新しい差し歯ができるまでのつなぎとして、現在私の前歯には仮歯が入っている。あくまで仮の歯であるから、くれぐれも前歯だけでかたいものをガブッといかないようにと言い含められている。
「かたいもの」はどれぐらいかたいとアウトなのか。私は先生にそう尋ねた。
ちなみに私はその先生のことをずっとヤナギブソンに似ていると思っていたのだが、よく見るとべつに似ていなかった。ふたりとも目が二重ですね、ぐらいにしか似ていなかった。
似ていないのだが私はこれまでずっと先生のことを心の中で歯科ギブソンあるいはギブせんせいと呼んでいたので以下歯科ギブソンと呼ぶ。

歯科ギブソンはすこし首を傾げるようにして「……んーおせんべいとか?」と語尾を上げた。おせんべいはやはり堅焼きなのか、それともおばあちゃんのぽたぽた焼き程度でもアウトなのかと確認したかったが、歯科ギブソンが忙しそうにしていたので黙っていた。

なにをガブッといくと仮歯はとれるのか。どこまでなら大丈夫なのか。ちなみにはじめて差し歯を入れる際に入れた仮歯は、ホットケーキをひとくち噛んだ瞬間にボロッとれた。だからたぶんおばあちゃんのぽたぽた焼きも絶対だめだ。

仮歯がとれるのが怖すぎて、私は現在ルマンドというお菓子でさえも前歯で噛めない。奥歯のほうに直接インしている。鏡で確認したら、奥歯にルマンドを直接インするときの私は野獣のような顔をしていた。(歯茎をむき出しにしていた)
なので人前でものを食べる時には小さく小さく切り分けている。直径三センチぐらいのおまんじゅうも六分割ぐらいして食べている。「野獣」というあだ名がつくのは避けたい。だからそうするしかないんだ。あと書いてて思ったけど私、菓子ばっかり食べてますね?