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悩みは特にありません。

でも性格は暗いです。

シュビドゥバと汗が出る

はてなブログをつかっているひとはわかると思うのですが、たまに「1年前はこんな記事を書いてました」みたいなメールが送られてきます。そのメールにのっているブログの記事の内容があまりにもバカなので「誰だよこんなの書いたやつえっ私かよモギャー」となります。モギャーとなるけれども「そうだこんなことがあったんだったなあ」と懐かしく思うのもまた事実で、やっぱり定期的に書いておこうかなと思った次第です。近況を。

 

 寺地さんはいつどのように小説書いてるんですかと質問された時にはいつも「子どもが寝てからです」と答えてたんですけど、ここ数か月は子どもと一緒に朝まで寝てることが多いので、なんか嘘ついてるみたいでやだねったらやだね(突然の氷川きよし)と思っていたのですが、最近ポメラを買いまして、いちばん新しい機種じゃなくて古くてちょっと安くなっているやつを買いまして、だから通勤中とか、ちょっとした合間に小説を書けるようになりました。今度からはスキマ時間に書いてますって答えればいいのですよね。スキマテラッチですってね。そうだろみんな。みんな!

使いにくい。不便だ。という意見も多く聞いたのでどうだろう、まあ使ってみらなわからんしと思って購入したのですが、私みたいな使いかたをする人には良いようです。小説を書き終えるスピードがはやくなりました。

あと手ぬぐいを買いました。三枚ぐらい。「にじゆら」という手ぬぐい屋さんでも買いましたし、ダイソーでも買いました。知ってます?ダイソー。 あそこね、100円にしてはちょっといいなと思ったらなんとびっくり300円だったりしますよね。300円ならいらないよ!プンだ!て思ったりしますよね。でも手ぬぐいは100円でした。よかった!!! これはたぶん夏のせいだと思うんですけど最近朝自転車で息子を保育園に送って行って自転車停めて駅まで歩く、これをこなしただけで相撲でもとってきたのかな? と思われそうなぐらい汗がダバダバ出るのです。シュビドゥバ出ると言ってもいいかもしれません。たまに街中でまったく汗をかいてない女の人とすれ違うんですけど彼女たちと私は汗腺の仕組みが違うんでしょうか。なぜ彼女たちの化粧は崩れていないのでしょうか。わからない!わからないよ!教えてよビオレさらさらパウダーシート!

汗拭いた後の手ぬぐいで手を拭くのは嫌だ、朝汗拭いたやつで夕方汗拭くのも嫌だ、とか思いはじめると鞄にタオルと手ぬぐいと合わせて6枚ぐらい入れていくことになります。ハンカチやミニタオルでない理由は、使える面積が大きいということと、いざという時にはほっかむりができるということです。ちなみにほっかむりは道端で会いたくない人とばったり会った時など、正体を隠したい時にすごく便利だヨ!サラバイ!(おわりかたが雑)

ガブッといけない問題。

私の前歯は一本折れている。折れた理由はここでは説明しない。とにかく折れている。差し歯で十数年以上の歳月を過ごしてきた。いつまでも終わらぬ地獄のような残業中も、恋人と過ごした甘く切ないひとときにも、賞に落ちて泣いたあの日にも、息子かられんげの花束を受け取った日にも、いつも私の口内には差し歯がいた。寺地with差し歯だった。

そんな夫よりも長いつきあいの差し歯を、新しくつくりかえることになった。いくら歯医者さんにそうすすめられたからと言ってそんな売れないバンドの人が有名になった途端に長年連れ添った糠糟の妻を捨てて若い女と結婚するみたいなことしていいのかなと思ったが「歯茎のかたちが変化しているので新しい歯が必要」らしいので了承した。仕方ない。人も街も変わっていくものだ。歯茎とて例外ではない。

というわけで新しい差し歯ができるまでのつなぎとして、現在私の前歯には仮歯が入っている。あくまで仮の歯であるから、くれぐれも前歯だけでかたいものをガブッといかないようにと言い含められている。
「かたいもの」はどれぐらいかたいとアウトなのか。私は先生にそう尋ねた。
ちなみに私はその先生のことをずっとヤナギブソンに似ていると思っていたのだが、よく見るとべつに似ていなかった。ふたりとも目が二重ですね、ぐらいにしか似ていなかった。
似ていないのだが私はこれまでずっと先生のことを心の中で歯科ギブソンあるいはギブせんせいと呼んでいたので以下歯科ギブソンと呼ぶ。

歯科ギブソンはすこし首を傾げるようにして「……んーおせんべいとか?」と語尾を上げた。おせんべいはやはり堅焼きなのか、それともおばあちゃんのぽたぽた焼き程度でもアウトなのかと確認したかったが、歯科ギブソンが忙しそうにしていたので黙っていた。

なにをガブッといくと仮歯はとれるのか。どこまでなら大丈夫なのか。ちなみにはじめて差し歯を入れる際に入れた仮歯は、ホットケーキをひとくち噛んだ瞬間にボロッとれた。だからたぶんおばあちゃんのぽたぽた焼きも絶対だめだ。

仮歯がとれるのが怖すぎて、私は現在ルマンドというお菓子でさえも前歯で噛めない。奥歯のほうに直接インしている。鏡で確認したら、奥歯にルマンドを直接インするときの私は野獣のような顔をしていた。(歯茎をむき出しにしていた)
なので人前でものを食べる時には小さく小さく切り分けている。直径三センチぐらいのおまんじゅうも六分割ぐらいして食べている。「野獣」というあだ名がつくのは避けたい。だからそうするしかないんだ。あと書いてて思ったけど私、菓子ばっかり食べてますね?

1位はビエネッタというアイスをいっぱい食べること

私は3人きょうだいの末っ子(兄・姉・寺地)で、むかしっから弟という存在に憧れていたということは以前にも書いたと思いますが、過去の記事のリンクをどうこうするようなことはめんどうなのでしません。

どれぐらい憧れていたのかというと、私の子ども時代の憧れをランキング形式で発表するとしたら第3位にランクインするぐらいのものです。かなりでしょ。ちなみに第2位は「チョコボールのふたを開けたら金のエンゼルがピカッとついているという僥倖」です。

 

余談(ちなみにエンゼルへの憧れは、先々月ぐらいに夫の母が私の息子に買ってくれた「大人に贅沢チョコボール」にプラチナのエンゼルというものがついていて、私が引き当てたわけじゃないけどなんとなく果たされました。あと関係ないけど「大人の」と銘打ったお菓子を食べると私はたいてい「いつものでじゅうぶん」と思うし、そのままの君でいいんだよキープユアスマイルと歌いたくなるのですが、それは私の味覚がまだ大人ではないからなんでしょうか。もう四十路がすぐそこまできているのに味覚だけはフレッシュなままなんでしょうか。舌がリクルートスーツを着ているんでしょうか)以上余談おわり

 

そんなわけで弟のいる生活に対してはクリスマス以外の日にもシャンメリーを飲める生活(第4位)に対するそれよりも鮮烈な憧憬を抱いたまま中年になった私ですけれども、このあいだやっと『小野寺の弟・小野寺の姉』という映画をレンタルで観ました。突然「やっと(中略)観ました」とか言われても知らんがな、お前の映画観賞の機会の訪れがやっとかたまたまかひょんなことからかなんてどうでもええがなとお思いでしょうが、ほんとうに「やっと」だったんです。

その映画の存在を知った時からずっと気になっていたのに、それなのに私が近所のレンタルDVDの店に行った時はいつもいつもレンタル中だったわけです。あまりにレンがタル中だから、店員の誰かがこっそり隠してるんじゃないかとまで思っていたんです。あれだろ、おめえさんも弟のいる暮らしに憧れてるクチで、その小野寺の弟があんまり良かったもんで手放し難く候ってなわけでいつも懐に抱いてんだろその小野寺の弟をよう、観せろよう、私にもよう、その小野寺の弟をよう、という感情で頬袋をぱんぱんにして店員を睨めつけていたんです。このことを友人に相談してみたりもしたのですが「知らねえよ、Hulu導入しろよ」とか言ってこっちが一瞬黙ったとたんHuluの便利さについて滔々と語り出す始末だし、だいたいその友人は弟がふたりいるので「いや弟なんてそんないいもんじゃないんだって~生意気なことばっかり言うし~」とか余裕綽々の態度だし、そのくせ肝心の「生意気なこと」の詳細は教えてくれないのです。教えろよ! 私にもその生意気盛りの匂いだけでいいから嗅がせておくれよ!

 

でも先週やっとレンタル中じゃなくなっていて興奮のあまりヒッヒッフーと呼吸しながら(ラマーズ法)借りて帰りました。何も産まれませんでしたが小野寺の姉は片桐はいりさんで弟は向井理さんでした。弟も良かったが姉も良かった。お話も甘過ぎないところが良かった。もっと丁寧に感想を書いたほうがちゃんとしたブログみたいになると思うんですけど、じつは余談のところで気力の大半を使ってしまったからもうこれ以上何も書けやしねえのさ。

 

翻訳できない世界のことばという本

10代の頃私は自分のことを「それなりに本が好き」な人間だと思っていて、もし将来子どもを産んでその子が大きくなったら、大きな書店に一緒に絵本とか選びに行きたいぞよ~と思っていた。その頃の私は実際の子どもというものを遠くからしか見たことがなかった。

しかし実際に子との生活をスタートさせてみると、自分の息子はとても書店なんぞに連れて行ってはならぬ生物であることがわかった。赤子の頃はそれまでベビーカー内で静かに寝ていたくせに私が店内に一歩足を踏み入れるやいなや(アズスーンアズ)「……ッンギャアアアアアアア!!!」と泣き出すし、親より何よりスティックパンが好きだった一歳頃にはパンのレシピの本を指さして「バン!(当時はパ行の発音ができなかった)バン!ウォオオオオ!バン!バァァーン!」とよだれたらして大騒ぎするし、二歳の時と三歳の時は触ってはならないもの(商品)をむやみに触ろうとするし、表紙とか破れそうでヒヤヒヤするし、とても落ち着いて本を選ぶどころではなかった。

 

五歳の現在は、事前に言い聞かせれば静かにしているし、むやみに触ってはならないもの(商品)も丁寧にあつかうことができるようになったけれども、ちょっと目を離した隙にリルケの詩集を立ち読みしているお嬢さんの隣に立って尻をフリフリして遊んだりしているので実に油断ならない。

なので私はいつも仕事帰りにひとりで書店に立ち寄ることにしているが、はやく帰って飯の支度をしたり洗濯物を畳んだりせねばならぬ身ゆえ、ゆっくり見てまわることはできない。欲しい!どうしても欲しい本!としてリストアップした本をガスガスと何冊も棚から抜きとって、早足でレジに向かう。そんな按配なのだが、このあいだ「欲しい!」じゃなくてネットでその存在を知った時には「まあ買ってみてもいいかしら」と感じた程度だったけど目についたので購入した本が予想を超えて超えて虹のむこう(オーバーザレインボウ)に行ってしまうぐらい素晴らしかったので、今日はそのことを話そうと思う。十代の頃云々から尻をフリフリのくだりまでは前置きです。なげえ。

 

『翻訳できない世界のことば』という本、見開き一頁ごとにひとつ、いろんな世界のことばが美しい絵とともに紹介されている。他の国の言語に訳すときに一言では訳せないような、その言語固有の言葉たちなのだそうで、日本語だと「木漏れ日」「わびさび」なんかがそれにあたるのだそうだ。ないんだってよ、ほかの国には。

この本の良いところは、まず家事の合間にちょこちょこと読めるというところだと思う。絵がきれいなので、眺めているだけでも、ぱらぱらめくるだけでも楽しい。それから、読んだあと誰かと話をしたくなる。

あと個人的には、とても小説を書きたくなる、という良さがある。載っている外国の言葉をつかってみたいということではなくて、単純に、言葉を使うよろこびみたいなものを思いださせてくれる。小説とはなんぞやという問いの答えは読む/書く人の数だけあるのかもしれないけど、私にとっては「ひとことで言いあらわせないような、または名前のつけようのない感情あるいはものごと」を伝えるための手段だと思っている。

 

 

ZOZOぞんぶんに

さいきん毎日のように間違い電話がかかってくるのです。相手の人はどうやら日本語が不得手な人らしく、日本人ではないのか、日本人だけど不得手なのかよくわからんけれども、とにかくなにを言っているのかほとんど聞き取れません。たぶん女の人。

「コハンタベルゥトコロテショオ~?」とその人はいつも繰り返すので、たぶんレストランかなにかに予約をとりたいのでしょう。その人の持っているレストランガイドみたいな本にそれはもうおいしい料理を出すらしいお店が載ってて、その電話番号が私の電話番号によく似ているのでしょう。

 

毎回違いますよって、私もなぜか相手のカタコトがうつってしまって写ルンですになって、普段より高めの声で「チガイマスヨォ~」みたいに答えるんだけれども、次の日またかかってきます。

いつまでたってもそのレストランに電話が繋がらなくて、間違い電話の人はさぞお困りのことでしょう。そのレストラン、いやもしかしたら割烹かもしれんけど、茶屋かもしれんけど。

全然関係ないけど私の地元佐賀県にかつて「相撲茶屋・大地」というお店があって、ごっつあんですとか言ってしきりにテレビのコマーシャルを流してたんですけど、あのお店は今もあるんでしょうか。そんなこと俺(orミー)に聞かれても困るぜとお思いでしょうが、コマーシャルを見た限りでは、お店のど真ん中に土俵が設置してあるのが売りのようでした。行ったことはない。

あとそのコマーシャルでは、料理がミニSLで運ばれてくるのでキッズが大喜びやみたいなことも言っていました。相撲とSLの関連性とは。S(すもう)L(ラブ)という意味でしょうか。SUMO LOVE でしょうか。SUMO LUV かもしれないですね。どっちでもいいですね。

 

とにかくどうにもこうにもそのレストランに辿りつけないので、間違い電話の人はもう何日もずっと腹ペコなんじゃないかなと思うと、私は不憫でならないのです。

私がそのレストランを知ってるなら104ばりに電話番号を案内してあげるんですけど、職場の電話番で鍛えたガラガラボイスでもってご案内してさしあげるんですけど、なんせ知らないもんで、今日も間違い電話の人は空腹を抱えたまま眠れない夜を過ごしているんです。おなかグーつって。

ちなみに私は空腹がある一定の基準を超えると「ンゴギュギュンイギィー」みたいな音が鳴るので、昔その音を聞きつけた人が「咆哮が聞こえるッ! 熊が里におりてきとるぞ!」とか騒いだあげく突然の熊ハントがはじまって困惑したことがありました。私は腹に熊を飼う女だ。(カッコE!)

 

だから次かかってきた時はね、私思い切って「そうですよ」って答えてみようと思ってます。そうです私がコハンタベルゥトコロですと。寺地食堂です。間違い電話の人が家に来たら、何も言うな、わかってる、私も腹に熊を飼う身、空腹の辛さはぞんぶんに、ぞぞんぶんに、ZOZOぞんぶんにわかっているよと頷きながらスープをスッと差し出そうと思う。スッとね。

ポフ

このあいだ知人のアスパラさん(愛称)と喋っていた時に職歴の話になりまして、私が以前に働いていた職場について「小さな事業所で、上司から毎日のように『お前はバカだ、無能だ、どうせすぐ辞めるんだろうから大事な仕事は任せられない』という趣旨のことを言われ続けて、それがしんどかった」と説明すると知人は「えっ、その時のテラッチには『悔しさをバネに頑張る』って気持ちはなかったわけ?」と訊かれ、私はなんじゃそらそらと思ったのでした。

私の中で悔しさをバネに頑張るというのは「私こと寺子は演劇部所属、今度の文化祭の劇で『鹿鳴館』をやることになって、朝子役のオーディションに挑んだんだけど、選ばれたのはなんと親友のユリエ。悔しい……眠れない……でも……落ち込んでる暇なんてない!」みたいな、そういうシチュエーションで発揮するもんだと思ってたんですけど違いますか?違う?違う違うそうじゃそうじゃなーい?鈴木雅之

悔しさをバネに頑張ることは、少なくとも他人が強要するもんじゃないよな、と思うのです。だってそんな会社でそんな状況でなおその悔しさをバネに頑張ることが当然、となると暴言吐くことを肯定することにならないですか。

「あいつのためを思って言ったんだよ~これでへこたれるなんて根性ねえよ~」って鼻の穴がパカッと開くタイプの言い訳が成立してしまうし、そしたらたぶん暴言パラダイスになるから。暴パラだから。暴パラ一直線だから。
いややっぱ暴パラっていう略しかたは良くないわ。暴言パラグアイと間違える人が出てくるもん。パラグアイの人に悪いわ。暴言パラダイにするか。スぐらい言おうぜおい。

私は件の職場に七年半勤めて、結婚および転居を理由に退職したわけですけれども、そのうちの六年間ずっと毎日今日も頑張ろう頑張ろう頑張れ私って自分に言い聞かせながら朝から車の中で『燃えよドラゴン』のサントラを大音量で聴いて気分を高めてホワッチャーの勢いで職場のドアを押し開けていただけなんです。ブルース・リーのおかげで頑張れたんです。悔しバネのおかげじゃない。

辞めずに頑張ったおかげで今の私があるとか、そんなこと微塵も思ってなくて、なんであんなに我慢してたんだろうはやく辞めれば良かったぜと思ってます。

それに「悔しさをバネに頑張る」となると、頑張ってる最中ずっと私の心の中にその暴言吐太郎がいることになりそうで、それも嫌だな。私の心の中に鎮座ましましてるわけでしょ。ヤダーン。ふと見れば吐太郎、振り向けば吐太郎で気の休まる暇がまったくない~。皆無ゥ~。

私の心に常駐してほしいのは私の好きな人だけなんだよ。北村有起哉とかさ。バカって言われたいのもそういう相手だけなんだよ。歩いてる時に私が「私、北村さんのこと好きですよ」って言ったら「なっ……!バカ!!」ってものすごい勢いで赤くなりながら言ってほしいんだよ。そのあと視線を逸らしながら「本当にバカだな、君は……」とか言って、私の頭にポフ、て手を置いてほしいんだよ。ポフ、てな。

北村有起哉の話してたらめちゃくちゃ楽しくなってきたので、今この段階で悔しさをバネに云々はもうどうでも良くなってきてるんですけど、要するにね、私は、私の目的を果たすためとか、私が楽しくなるためにとか、とにかく私のためにしか頑張らないです。これからもね。ポフ。

インフルエンザ

インフルエンザになった。10月末に予防接種を受けていたが、そろそろ効果が薄れるのかな、というこの時期に見事にかかった。日曜から具合が悪かった。今日は水曜で、随分マシになった。

ところで私がちょっとしたトラブルにあったとか体調不良のことを書くと「悩みは特にありませんとか嘘じゃないか!悩みあるじゃないか!」と鬼の首でも取ったように言ってくる人がいて、普段から読んでくれているわけでもなさそうなのにそういう話題の時だけ絶対出てくるから不思議だな、と思っている。私はちょっとしたトラブルや体調不良は生きてたら必ずあるものだと思っているので「悩み」にはカウントしてないです。
「あらゆる手を尽くしても尚状況が改善されず、常時そのことが頭を離れない」という事柄だけを悩みと呼んでます。

今回ほんとにしんどくて、月曜の朝に病院が開くまでの時間(20分ぐらい)ちょっと休んどこ、と思って目を閉じたらそのまま動けなくなってテーブルとおもちゃ箱のあいだの50センチぐらいの隙間で数時間眠って(倒れて?)いて、結局午前の診療時間ギリギリになってしまい病院の人たちに申し訳なかった。
その翌日もちょっと動いただけで肩で息するような状態で、あまりのしんどさに洗濯物を干しながらちょっと泣いた。

あと頭というか鼻から上が全体的にズキズキと痛むというか、いやあれはズキズキではなかった、ズキュンズキュンだった、特に目が脈打つたびに激しく痛んで「飛び出せ! 眼球!」みたいな感じで、ほんとに飛び出してきたらどうしようみたいなことをわりと本気で何回も思った。
夫のお母さんがお夕飯を作って届けてくれたり、保育園の送迎をしてくれたりして、ものすごくものすごくありがたかった。

2月中旬から書きはじめていた小説を3月末に書き終えた。400字詰原稿用紙400枚分ぐらい。(私は勢いに任せて書いた後に時間をかけて何度も書き直すタイプなので完成形には程遠いけど)
明確なしめきりが定められていたわけでもなく、この日までに送ります、と自分自身が示した期日、というのがあるだけで、それもまだ先の話で、だからそんなに急いで書く必要は全くなかったのだが、個人的に焦る事情があって必死こいて書き続けてしまった。睡眠時間を削って、というよりは例えば21時に息子と一緒に寝ても2時か3時に「ハッ!書かな!」と自然に目が覚めるような案配であんまり健康的な生活とは言えなかった。
その結果見事にインフルエンザにやられてしまい、しかもそうなるまで自分がそれぐらい疲れている、弱っている、ということがわかっていなかった。

やっぱり毎日7時間半ぐらい寝る生活に戻ろう、と今は思っている。いや思い出したけどちょっと前までは9時間ぐらい寝てたんだったわ。それは寝過ぎだわ。

というわけで皆さまもインフルエンザ的なものにはお気をつけください。あいつら4月になってもまだまだ活動してますぜ。