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悩みは特にありません。

でも性格は暗いです。

今日のハチミツ、あしたの私とasta*の連載

おかげさんで息子が今年から小学生なもんで、入学式があるもんで、きれいな服を買いにいかんばならんということで買い物に行ったはずがなんかいつのまにか無印良品に入っていて食べる予定もない辛いか甘いかもようわからんような菓子を買って帰ってきてしまいました。服は?どうすんの?毎日着てる袖口がボロボロの、息子から背中に油性マジックで「つ」て書かれてるパーカーで入学式行くの?ハア?みたいな事態に直面しております。服ね!買うよ来週!買えばいいんだろ!
小学生です。はやいですね。ついこのあいだブログにトイレトレーニングがどうたらいう話を書いたような気がするのにね。

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パーカーの袖ボロボロマンこと寺地の四冊目の単行本が3月15日発売です。角川春樹事務所さんから出ます。ハチミツの話です。(説明ざっくり過ぎ問題)
このあいだ息子にうっかり「お母さんは本を100冊出すし、これから賞とかめっちゃとるよ」と言ってしまったのですが、これであと96冊になったし、もう夢の実現に手が届きかけてると言っても過言ではないなと思いました。そうだろみんな。みんな……待って……目をそらさないで……

私はパーカーの袖がボロボロなのに単行本の装丁に恵まれている女なので、今回もこんなにかわいらしい本をつくっていただきました。ね。かわいいでしょ。インスタ映えしそうですね!もちろん内容も最高におもしろいですよ……2017年の私は自画自賛していく方向に舵を切ったからな……よろしく頼むぜ……

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あと、ポプラ社のPR誌『asta*』で、短編の連載がはじまります。毎回読み切りです。私は以前もういっこブログをやってたのですが(今は更新する時間と心の余裕がないけど)、私の担当編集さんがそれを読んでくれて、そんでなんだかんだでこの短編の連載をすることになりました。
去年打ち合わせした時に、寺地さんが自由に書ける場所があったら良いと思います、と言われて、とても嬉しかったことを覚えてます。そんなふうに言ってもらえる私は、たぶんじゃなくて絶対とても幸せものなのだなと思ったのでした。たとえパーカーの袖がボロボロでもな!あばよ!!

小説すばるルルル(3月号)

17日発売の小説すばる3月号に『小柳さんと小柳さん』という短編を載せてもらったよ!ワーイ!
1月号掲載の『大人は泣かないと思っていた』という短編にゆず泥棒のレモンさんという女の子が出てくるのですが、今回はそのレモンさんが主人公です。連作として隔月で書かせてもらえることになりました。うれしい。

読んでない人は「ゆず泥棒のレモン」とか言われると、アッ!フルーツ専門の盗賊団の話かな? とか期待しちゃうかもしれませんが、全然違うので気をつけてください。
盗賊団的な話が好きな人には物足りないでしょうが、この連作には私が20年ぐらい前から思っていたこと、言いたかったことをギョムギョムにつめこんでいるし、かなり自由に楽しく書かせてもらっているので、とにかく誰かに読んでほしいナア、と思っています。

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4月から息子が小学生になるので、なんや体操服とかを近隣のスーパーでいろいろ買いそろえないかんらしくて、行かなきゃなー、明日でいいかなー、みたいなことをよそのお母さんと話してたら知人男性に出くわして「なにしてたの?ガールズトーク?」と訊かれて、まあこの人もたぶん深い意味はなくガールズトークという言葉を使ってみたかったんやろと思ったんですけど、でも私も来月40歳という堂々たる大人の年齢なので、「女の子」扱いするんじゃねえよ、失礼なんだよ、という意味をこめて「ガールじゃありませんけどね」と言ったんですけど、「何言ってんの、まだいけるって~」みたいな訳のわからん返答で、アンタなんなんだよ!とつい思ってしまいました。
後になって、あの人にとって「女の子」は素晴らしい存在で、大人になっても女の子として扱うことこそが善なのかな?と思い直しましたが、私はあんまり嬉しくないです。
それとも私が「女の子」という言葉になにか「一人前でない」とでもいうような、否定的な要素を感じ過ぎなんかな、とも思いましたが、結論はいまだ出ておりません。

本が出ました。

暮れの押し迫った時期に引っ越しをおこない、部屋の中をごちゃごちゃさせたまま故郷の母の家で数泊して帰ってきたのちまた部屋の中を片付けてとりあえずなんとか人間の住まいらしくなりました。新しい家(中古だけど)良過ぎるゥ~。居心地が良過ぎるゥ~。困るゥ~。みたいなことを毎日のように夫に報告しています。「よかったやん」て毎回答えてくれる夫ちょう優しい。わたしならたぶん5回目ぐらいで聞き飽きて「うるせえ!!!」と激怒して家中のスリッパを水浸しにします。そのあとベランダで丁寧に乾かす。

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本が出ました。『リアルプリンセス』のほうはアンソロジーです。わたしは「鍋かぶり」という、鉢かづき姫をモチーフにしたお話で参加してます。他の作家さんがすごい人たちだし収録されているお話もぜんぶ素晴らしく良いのでみんな買うといいよ。

『月のぶどう』は、去年わたしが必死こいて原稿用紙400枚ぶんぐらい書いた大阪のワイナリーのお話です。なんでそんなに必死こいたのかと言うといかんせんコレがコレだったもんでええ、コレ(ワインの知識)がコレ(皆無)ですよ。でも書かなければならない、と思ったんだわたしはこれを。書きたい、じゃなくてさ。
思ってしまったらなんとしてでも書くんだよわたしは。というようなことを去年カフェーで友人相手に話したことがあったんですけど、その時友人はわたしの話をぜんぜん聞いてなくて「ねえ『しげる』といえば、『泉谷』なのにさー、『城島』って答えるやつの気がしれんよ。わたしゃ気がしれんね!」とかひとりで楽しそうに喋っていました。わたしはこっちこそおぬしの気がしれぬ、と思いました。だって「しげる」だよ?松崎がいるじゃない!!!

小説すばるルル

かにクリーム! (寺地家で最近頻繁に使用されている挨拶)みんな元気?私は最近引っ越しの準備のために押入れなどを掃除してはそのたびへんなものを見つけてげっそりする日々です。昨日なんか台所の流しの下からアイスの棒(おおかたガリガリ君)(ソーダ味)が60本ぐらい出てきたんだよ。アイスの棒を集めてベランダにログハウスでも建てるつもりだったのかな。夢のセカンドハウスだよってね。バカかよ。

そんなことより聞いてくれよ。あたくしこと寺地が書いた『大人は泣かないと思っていた』という短編が、12月17日発売の小説すばる1月号に載っているんですよ!キャキャーイ!
あっしは小説すばるを以前、毎月は無理でしたがよく買って読んでいて、いつも「ハァ~こういう本にねェ載れたらねェ~よかよねェ~?」と思っていたので、つまり夢がひとつ叶った訳で、わしは嬉しいです。一人称が乱れるぐらい嬉しいのです。一人称の乱と呼んでください(島原の乱みたいな感じで)

小学二年生の頃、なんでランドセルは男子が黒、女子が赤と決まってるのか、私は黒のほうがカッコ良いと思う、というようなことを担任の先生に話した時に、なんで?はるなさんは男の子になりたいの?なんでそんなことを考えるの?先生にはわからない!なんでそんな当たり前のことを疑問に思うの?わからない!と言われました。今から30年以上前のことです。イオンで24色ランドセルが発売されたのは、それからずっとずっと後でした。

それから学年があがって、家庭科の授業がはじまり、裁縫箱を注文することになり申した。青・ピンク・白の三色から選ぶことになっていて、ふたの部分に描かれたイラストは青がレーシングカー、ピンクがワンピースを着た女の子、白が山と山のあいだを川が流れる風景でした。
男子は全員青、女子は全員ピンクを選んでいて、白を選んだのはクラスで私ひとり。他の子になんでピンクにしなかったのかとたずねられて、何度も「白のほうが絵が好きだから」と説明したけど「言ってることの意味がわからない。人と違うことをして目立ちたいのか」という返事でした。
ランドセルの時も、裁縫箱の時も、「わからない」と言う相手に、私は自分の思ってることをうまく説明できませんでした。男の子にはなりたくなかったし、目立ちたくもありませんでした。あの時なんて言ったら伝わったんだろうと思い続けながら大人になった気がします。

『大人は泣かないと思っていた』は、そのランドセルと裁縫箱のことを思い出しながら書きました。小学生の話ではなく、32歳男性の話だしどっちもお話には出てこないなのですが、書いてるあいだなんとなくずっと頭の片隅にありました。書けて良かったなと思ってます。よかったら読んでみてください。ルルル。

順風マンボ

永遠に終わらないのかもしれないと思っていた十月が、今日終わるらしい。なにげなく入力したブログの一行目がなんか小説っぽくなっていたので、私はそんな自分にイラっとしました。気取るな。

なぜ永遠に終わらないかもしれないと思っていたのかというと「10月中にやり遂げねばならぬこと」がなんか頭上にジャンゴジャンゴと降りかかってきてしんどかったからで、忙しかったのならはやく過ぎそうなものだけど、自分以外の人が下す決定をジト目でじっと待つ(若干のダジャレ感)しかない時間も多く含まれていて、だから私の10月は体感的にネバーエンディングストーリーだったのです。

11月中旬までで会社を辞めねばならん(Not解雇)し、年内に引っ越しをせねばならん。来年には新しい本が出る。来年には子どもが小学生になる。 10月が終わっても「やり遂げねばならぬこと」はモリモリあるのですが、今のうちに準備できることはもうやり尽くしていて、気ばかりが焦るのです。アゼルバイジャンアゼルバイジャンは焦るの予測変換で出てきました。あんたの出る幕じゃねえよ引っ込んでろよと思ったけど、アゼルバイジャンがさびしそうにしていたので「……ちょっとだけならいてもいいよ」って思ってしまいました。私はさびしそうな人をつい甘やかしてしまう、そういう甘やかしバイジャン的なところがあるので気をつけたいです。

焦るバイジャンが過ぎて最終的に全部ほったらかして『リルリルフェアリル~妖精のドア~』という女児向けのアニメを録画してくりかえし見たりしていました。私の肩には常に妖精がちょこんと座っているという空想で現実逃避もしてしました。 思えば私はこの手の空想が昔から得意な現実逃避バイジャンでした。十五歳ぐらいになるまで空想上の友達がいました。名前はあゆみちゃん。

今でも「あゆみ」という名の人を見ると「あゆみちゃんと同じ名前だ……」などとしみじみと思ってしまいます。いしだあゆみとか見るたびに思う。あー、あゆみちゃん、「順風満帆」を「じゅんぷうまんぼ」と読んだあゆみちゃん、今頃どうしてるんだろ、元気かな……とかも思うのです。空想上の人物なのに。

「順風満帆」という言葉を見聞きするたび、私はあの時「まんぱんって読むんだよ、なんでマンボなの、なんで急にそんなラテンなの」ってあゆみちゃんと肩を叩きあってゲラゲラ笑ったのを思い出して、クスクス笑ってしまうのです。それからそのあと年賀状に私が「順風マンボな一年になりますように!」って書いて、新年早々あゆみちゃんから怒りの電話がかかってきたことなんかも思い出して、やっぱりまたひとりでクスクスって笑うし、すこしだけ涙が出ちゃうのです。おかしいですよね。だってそんな出来事、現実にはまったく起こってないんだから。 だけど笑って泣いた後、やっぱりあとすこしだけがんばってみよう、やれることをひとつずつやっていこうっていつも思うのです。いつか彼女にまた会えた時に「最近どう? 順風マンボ?」って、笑顔で言えるように。まあ空想上の人物だから会えないんですけどね。ぜったいにね!

鰆子さん

このあいだ私と同年代、つまり40手前の鰆子さん(仮名)とお話をしていた時に「なんか観てるドラマとかある?」と訊かれて、私はよし来たとばかりに「み、み、観てるよォ~『真田丸』をォ~」と前のめりになって答えたのですが、鰆子(呼び捨て)が即座に「アッこいつのこの目の輝きは真田丸について一時間ぐらい喋るつもりのそれやぞ」みたいな表情をして「ほかには?」と質問を重ねたので、しかたなく「『運命に、似た恋』というドラマの第一回を観ました」と答えました。すると「私も観てるよ」と言って今度は鰆子さんが前のめりになったのです。なんなんだよ。

 

『運命に、似た恋』というのは45歳で離婚歴があって高校生の子どもをひとりで育てている原田知世(かわいい)が斎藤工から壁ドンならぬ車ドンをされたりパーティーに誘われたりベランダからストールをふわっと投げてもらったりするドラマで、私と鰆子さんは「あれはやっぱり『私もこんな素敵な恋をしたいわ。キュンとするわ』と思って観ないといけないのだろうか。思えなかった場合は視聴を断念するしかないのだろうか」ということを真剣に話し合いました。

結果「どう思いながら観ようと自由だ」というめちゃくちゃ普通の結論に達したのですが、新たに「そもそも私たちは『キュンとする』を求めているのか」という疑問が生まれもしました。私と鰆子さんは家事と育児とお勤めで慢性的に疲れています。キュンなどとしている余裕がない。 あとついでに私は小説を書いていて、鰆子さんもあるものを作って売るということをしています。私の小説も鰆子さんの作品制作も好きでやっていることではありますが、それで収入を得ているため、時にはインターネットなどでボロクソに言われることもあります。 だから、泣きたい時も結構あるよね。でも泣く暇正直無いよね。というような話をしました。そんなわけで私たちに取り急ぎ必要なのはキュンではなく「べっぴんさんが台無しやでおじさん」を心に棲ませることであるという結論に達したのでした。よかったね。

 

「べっぴんさんが台無しやでおじさん」というのは、泣きそうな気分の時にどこからともなく現れるおじさんのことです。おじいさんでもかまいません。だいたい首に「タナカ酒店」みたいな文字の記してある白いタオルを引っかけてブラブラと歩いてくる。靴下を履いていないがそれは石田純一的なスタイルという意味ではなくて、下駄やつっかけサンダルを愛用しているという意味です。この場合クロックスは駄目。ブラブラと歩いてきて、泣きそうな私たちを見て「おっ」という顔をする。どないしたんやみたいなことも言う。そして「べっぴんさんが台無しやで」と笑ってポケットティッシュ(四隅がくしゃってなってる)を差し出して去る。それだけ。40手前の私たちを一瞬小娘に戻す、適当さと鷹揚さの絶妙なバランス。容姿をほめられる機会が極端に少ない小娘時代を過ごしてきた私たちの心を震わす「べっぴんさん」という魔法のフレーズ。これはもう絶対に涙が止まるよね、と鰆子さんと私は確信に満ちた様子で頷き合い、その場は解散となりました。

 

でもその後LINEで鰆子さんが「心の中に棲む『べっぴんさんが台無しやでおじさん』、寺地なら誰にやってもらいたい? 私は断然佐々木蔵之介!」と言ってきたので、鰆子さんあんたやっぱりほんとうはキュンとしたいのでは……? と思いました。

センサー

云ひたひことがあるならばはつきり云へと父に云はれて、へヱそういうことならと本音を伝へたらば即座に髪を掴まれて壁に頭をズドンされてモギャンとなって以来、云ひたいことは極力この胸に仕舞って生きて参りました。来年四十歳になります。

あんまり喋らないので人生損するでしょうと言われることも若い頃にはよくありましたがそんな性分でもわりと得することはあって、いつのまにやら「寺地は口が堅そうだ」というようなイメージが定着して、別に有能でもないし誠実でもないくせに「だからお前は信用できる」とか言われてえらい人に可愛がられて、お土産のおまんじゅうを他の人よりいっこ多くもらえたこともありました。おまんじゅういっこぶんの信頼です。ちっぽけだとお思いになりますか。そんなことはありません。

けれども最近、様子が違ってきているようです。
今日、スーパーマーケットで買いものをしていたところ、鮮魚コーナー、位置で言うとさんまと鮭フレークのあいだあたりに3歳ぐらいの坊やが座りこんでおりまして「ママがぎゅってしてくれるまでうごかへーん」などとかわいらしく駄々をこねておりまして、ママなる人は2メートルほど前方で困った顔をしているご様子でした。
「アラアラ、そんならおばちゃんが抱っこしたろか? モヒヒ」というようなことを私は思い、そしてそれをそのまま口に出してしまったようでした。しかもニヤニヤしながら。
坊やはギョッとした様子で(鮮魚コーナーだけに)立ち上がり、ママのところへ駆け出してしまいました。
妖怪抱っこしたろかババアと思われたかもしれません。妖怪抱っこしたろかババアってなんだよ。いねえよ。
でもそんなことはどうでもよいのです。発言内容がおばはん丸出しなこともさておく。問題は、私がそれを言うべきか言うべきでないかを考える前に声に出して言ってしまっていたということです。

私の体内の「言うべきか言わぬべきかセンサー」は壊れてしまったのでしょうか。今後は自分の思いをだだ漏れに漏れさせて生きていくしかないのでしょうか。この前所用で息子をオフィース街に連れていったとき、会社員の人たちを見た息子が「なんでこんなにおじさんがいっぱいいるの? おじさんのおまつりなの?」と言い出して肝をつぶしたのですが、私もそのうちあんなふうに思ったことを全部声に出すようになるのでしょうか。くさい匂いを嗅いだら即座に「うわ!くさ!」と叫んだり、仕事中に「なにかお手伝いすることはありますか?」と訊ねるべき時にも「なんか仕事あります? ないならお給料だけでもいいからください! お金ください!」とか言ってしまったりするのでしょうか。ヤダ!一大事!