新しい本のはなし

『大人は泣かないと思っていた』という本が、7月26日に集英社より発売されるので、誰にも頼まれてないけどその話をする。

前回の記事を見てみたら1月で、おめえは本が出る時しか更新せんのかいと自分でも思う。

最近ずっと手書きの日記をつけていた。ちなみにさっき読み返したら、先月は「今朝の『はなかっぱ』(Eテレのアニメ)で、またがりぞーがおやつをもらえていなかった」「今日もがりぞーは……」などとがりぞーのおやつ事情ばかり心配していて、どうしようもないバカダイアリーだった。


 大人は泣かないと思っていた

大人は泣かないと思っていた


『大人は泣かないと思っていた』は小説すばるに隔月で載せてもらった連作短編をまとめたもので、わたしが31歳まで住んでいた佐賀県が舞台になっている。


故郷のまちで暮らしていた頃、親から「お前みたいな者はよそ(東京や大阪などの大きな街)で生きていけるわけがないから、ここにいるのがいちばんだ」と言われ続けていた。

お前のことは親である私たちがいちばんよくわかっている、と主張する人たちが言うのだからほんとうのことなのだろう、と疑いもしなかった。

その頃の勤めていた職場はお花見とか忘年会とかその他にもいろいろイベントがあって、取引先の人などがかならず来た。女子社員がお酌をしなければならないことになっていて、それがとても嫌だった。

お酌をしなければ、と言っても就業規則に書かれていたわけではないので無視していたが、上司の人に「ほら、お酌!」と脇腹をつつかれたり、翌日「気がきかない」とぐちぐち怒られた。これまた、とても嫌だった。

酔ったおじさんたちが、自分の奥さんのことを「賞味期限切れ」などと嗤うのを聞くのも、「君はまだ切れてないね」とか「でもぎりぎりかもね」とこっちに話を振ってこられるのも、それにたいして気の利いた返答をしなかったという理由で未熟者あつかいされるのも、ほんとうに、ほんとうに、気持ちが悪かった。


でも、その頃のわたしはそれらを「つらい」と思わないようにしていた。ひとたび思ったら、この日々に耐えられなくなるとわかっていたから、鈍くあろう、とつとめていた。

 

人の噂ばかり聞かされることが嫌だった。誰かと知り合った時、いちいち出身高校を訊ねられて「じゃあ誰々知ってる? 知らない? 誰々は?」と、どうでもいい他人の名前と顔を思い出させられることが嫌だった。わたしのかつての同級生がお前と同じバイト先にいたとか、心底どうでもいいと思っていた。でも言えなかった。


小学校の時に裁縫箱のデザインがひとりだけ違っているという理由で周囲からごちゃごちゃ言われたことが嫌だった。オリンピックとかワールドカップとか、みんなが興味を持つことに興味を持たないという理由で「そういう人だもんね」と笑われるのも嫌だった。

 

自分が生まれ育った土地を舞台にした『大人は泣かないと思っていた』を書くあいだは、それらのことを(エピソードとして入れるかはともかく)常に忘れずにいようと決めた。


わたしの小説はいつも、小さい、と言われる。

お酌するのが嫌だったとか、裁縫箱のデザインがどうとか、たしかに、ほんとうに小さい。その程度のこと、と人は言う。

でもたしかに、あの頃「その程度のこと」に押しつぶされそうになりながら生きていた。そうしてわたしの他にもそんな人がどこかにいるはずだと思った。小さいこととどうでもいいこととは違うとも。

書けてよかったし、本になったことがしみじみとうれしい。


うれしくて、うれしくて、この本に関わってくださった人たちの自宅に巨大なしゃもじ持参でお礼を言いに行くついでに晩ごはんを食べて帰りたいぐらいだけれども、そんなヨネスケスタイルの感謝の伝えかたは迷惑に違いないので、ここに記しておこうと思う。ありがとうございました。


 

架空の犬と嘘をつく猫

あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

2018年は今のところ、単行本が2冊出る予定です。1月発売の『飛ぶ教室』52号に「秘密結社園芸クラブ」という短編が掲載されるのと、2月に『ミナトホテルの裏庭には』が文庫となって発売されるのが今のところ決まっています。新たな連載などもはじまる予定です。

こらえ性がないので、長編を書きはじめるとはやく終わらせたくて焦って焦って駆け足で書いてしまい、結果的にぜんぜんおもしろくない話を渡してしまうということがよくあるので、「もうすこし落ち着いてじっくり小説を書きましょう」というのが2018年の目標です。あと15年ぐらい前に1万円ぐらいで買って毎年着続けているせいで袖がぼろぼろになっているコートをいい加減捨てたいです。大掃除で捨てろよ。

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架空の犬と嘘をつく猫|単行本|中央公論新社

 

昨年12月21日ぐらいに『架空の犬と嘘をつく猫』という本が出ました。ことしは戌年なので、みんな買ったらいいと思います。装画は北澤平祐さん、装幀は鈴木久美さんで、手にとった瞬間すてき過ぎて「ホゥ! プホウゥ!」的な奇声を発しちゃうこと確実な仕上がりになっております。書店で買う時は気をつけなはれや。

ざっくり言うと男の子が中年になるまでのお話です。ぜんぜん感動的な話じゃないのに、帯の裏に「感動作品」とちっちゃく書いてあったので、あわわ、と思いました。

 

デビューした直後ぐらいに、本の感想をこそっとツイッターのDMで伝えてくれた人がいて、その人は「自分は世の中の、何の役にも立てていないと思って落ちこんでいた時期に読めたのでよかったです」と言っていました。

その人とは別に、同じくツイッターで「社会の役に立っていないことがつらい」とよくつぶやいている人がいて、なんとなくずっとひっかかっていました。役に立つ、ってなんなんだろうなあ、と思っていた。

何かの、誰かの役に立たないと、私たちはだめなんだろうか。ひけめを感じて生きていかなきゃいけないんだろうか。いやそんなことはないんじゃないでしょうか、私たちは当たり前に、生きていく権利がありますよね、と言いたかった、それが『架空の犬と嘘をつく猫』という小説を書いた理由のひとつです。

もし「役に立つものしかこの世に存在してはならない」としたら、窮屈ですよね、それってすごく余裕のない世界ですよね、ということを登場人物のひとりであるおばあちゃんに言わせているのですが、それはそのまま、私自身の気持ちです。というわけで、多くの人に届きますように。

 

みちづれはいても、ひとり

10月16日に光文社さんよりあたらしい本が出ます。『みちづれはいても、ひとり』というタイトルです。帯にはでっかく「40女のロードノベル」って書いてあります。40女て。
電子書籍版も同時に発売されるそうなので電子書籍派のかたもぜひ。ぜひとも。

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おかげさまで5冊目の単行本になります。
デビュー作以後すべて予約して購入してくださっているというかた、書店をまわって「○軒めで買えました!」と報告をしてくれるかた、いつもありがとうございます。

このあいだ自分の小説の感想を読んでいたら「出てくる男の人がみんな変なので男の趣味が悪いんだと思う」と書いてあって、いや「どうよ女子たち、この人素敵やろ~、つきあいたいと思わん?」みたいな気持ちで書いてるわけじゃねえからな、登場人物=私の趣味じゃねえからな、と思って、でもなんか笑えるなあと思ってずっと笑ってました。
ちなみに『みちづれはいても、ひとり』は登場人物全員が男女問わず変というか、何らかのだめさを抱えている人たちなので、あらかじめそのつもりで読んでもらえたらうれしいです。みんな違ってみんなだめ。

やさしいひと

小説の感想として、「優しい物語ですね」とか「心温まる」とか「ほっこりした」という言葉をもらうことがよくあって、それが一時期、いやでいやでたまらなかった。
なんでこんなにいやなんだろうと考えたところ、ひとつには、基本的に「ヨ~シ、いっちょ優しい物語を書くぞ~!」と思って書いたことが一度もない、というのがある。実際自分で読み返しても、優しいお話だ、などとは到底思えない。絶対1回は雨の場面入れるよな、自分雨好きだな、とかは思う。
ふたつめに、自分は人類を大きく「いじわる」「優しい」の2つにわけると確実にいじわる側の人間だよなと思っている、というのがある。ほんとに毎日意地の悪いことばかり考えている。そんな人間の書く話が優しい物語なわけないよ私にだまされちゃいかんぜ、と思っていた。

関係ないけど高校に通っていた頃の友人がひとりで美容院に行けない人で、3年間ずっと付き添っていた。その美容院に『いじわるばあさん』という漫画があって行く度読んでいたら美容師さんが「ねー知っとった?いじわるばあさんってほんとはおじさんばい!アヒャヒャ!」と言い出して、のちにそれは青島幸男が演じていたいじわるばあさんのドラマの話だと知るのだが、当時はばあさんがおじさんて、いったい何言ってんのこの人と思ったものだった。

話は戻るがとにかく優しくない私は、なにやら詐欺をはたらいているような感じがして、優しい物語と言われるたびギャバンと叫んで逃げたくなっていた。宇宙刑事

しかしあらためて考えてみると、その人たちはあくまで読んだ感想を言っているだけで、寺地さんって優しい人ですねと言ってるわけではけっしてないのだった。感想はあくまでも、読んだ人のものなのだった。たぶん優しい物語だねと思う人は、その人自身がもともと優しい性質なのだと思う。
優しい物語だねという感想は、読んでその人自身が持つ性質が引き出された結果なのだ。
なんだそっかー。安心したー。詐欺とちがったー。

で、何が言いたかったのかと言うと、だから、読者のひとを信じて、とにかく今書けることをドンガドンガ書いていこうぜ私、とあらためて思ったということなのだが、余談であるはずの美容院の話がけっこう長くて長久手古戦場なので、どうしようもなくまとまりに欠けてーる。

謎のメッセージとうまい棒

月にだいたい10冊ぐらい本を買います。単行本2冊と文庫8冊ぐらいの割合。大きな書店に行くと調子にのってもっとたくさん買う時もあります。
ほんとはもっと頻繁に調子にのりたいのですが家のローンとか学資保険とか色々あるので、がまんしてます。

読みたいな買いたいなと思った本のタイトルはメモしておくのですが、たまにメモしたことを忘
れている時があって、このあいだ朝起きたらメモ用紙に「水やりはいつも深夜だけどさあ、気ちがいになりなさい」と書いてあって、めちゃくちゃ怖かったです。なにこの謎のメッセージ!ヒイイ!てなって布団に戻ってガタガタ震えました。とんだガタリンピックだったぜ。後で勘違いに気づいて『水やりはいつも深夜だけど』というタイトルと『さあ、気ちがいになりなさい』というタイトルをぴたっとくっつけて書くから不用意にびびらなければならんのだバカめ、と自分に言ってやりたくなりました。

買った本は、買った時に記録としてインスタグラムなどにその画像をのせるようにしてます。だって以前本棚の整理をしていたら『お目出たき人』という本が2冊出てきたから……ショックだったから……。しかもけっこうイライラしながら読んだ記憶があるのに、2回も買ったのかい、と二重にショックを受けたから……。

あと、ツイッターで「どこそこの書店が閉店しました」という話をよく見かけてかなしいなあと思ったのが、買った本の画像をのせるもうひとつの理由でもあります。
私ひとりが書店でつかう金額なんぞたかがしれているのですが、もしかしたら世の中にひとりぐらい「おもしろそうだから私も買お」と思う人がいるかもしれないし、と思うのです。
でもおもしろそうだから図書館で借りよ、と思う人もいるのかな。それだと意味ないかな。そういうんじゃないんだよな。
あと関係ないけど私がよく行く書店は本を買うたびうまい棒をくれます。息子がそのうまい棒を食べながらレインボウうまい棒みたいに韻を踏んでいたので、すごいな、うまい坊だな、と思いました。おわり。

去年の私はセミもり子、きみは嘘つき

暑いのが苦手だという理由で夏の悪口ばかり言ってきたけれども、いつまでもそんなんでいいのか私、いい加減に夏の良いところに目を向けてやるべきなんじゃないのか、と思い、最近洗濯物をとりこみながら「夏だからよくかわくんだなあ、夏よ、おまえさんのおかげだなあ、夏よ」と話しかけることにしている。夏に。そのせいか夏もだんだん私にやさしくなってきたような気がする。

去年は暑い暑いと文句ばかり言っていたせいか、夏はじつに私にきびしかった。具体的に言うと、セミの死骸ばかり私に見せてきた。
ベランダに出たら死んだセミがいるし、マンションの階段をおりていたら踊り場ごとに死んだセミがいるしで、むしろ私が殺してんじゃねえの、歩くだけで、私いつのまにかセミ専門の死神になってたんじゃねえの、とまで思っていた。

死んだセミをゴミ箱に捨てるのもしのびないのでちょっくら公園に埋めてやろかしらんと思って一匹拾ったら最後、あちこちでセミが死んどるのを見つけてしまう。たちまち私の手にはセミの死骸がてんこもりになって、もしかしてセミもり子みたいなあだなついちゃうんじゃないのこれ、いやセミもり子ならまだかわいいけど妖怪出会うセミみんな死なせちゃう女みたいなあだなになったら立ち直れないよこれ、と思ったりしていた。
今年はまだ死んだセミを見てないので、やっぱり夏が私にやさしくしてくれてるのだと思う。ありがとう夏よ。

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8月9日か15日か発売のアンソロジー『きみは嘘つき』(角川春樹事務所)に「恋の値段」という短編で参加しています。他の著者は彩瀬まるさん、加藤千恵さん、中澤日菜子さん、額賀澪さん、椰月美智子さんです。豪華じゃろ。なぜその中に寺地が?!と思うじゃろ。私もそう思うもん。だから私すごい。私えらい。でもほんとにすごいのは私をこの本に加えよう、と思ってくれた人たちです。ありがとうございます。
アンソロジーはお菓子のつめあわせの箱みたいにいろんな味を楽しめるからいいよね。たぶん私今、うまいこと言うてやりましたみたいな顔をしています。

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ポプラ社の『十歳までに読んだ本』にもちょっと載ってます。こちらはエッセイです。エッセイといえば『飛ぶ教室』にも。

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8月17日発売の小説すばる9月号にも短編掲載予定です。画像はない。

以上宣伝です。(最近ツイッターやインスタグラムでお知らせして済ませてしまうことが多かったのでまとめてブログに書きました。)

朝顔、昆虫ゼリー、かき氷。

息子が一年生なので、小学校で朝顔を育てていて、7月に入ってからそれをうちに持って帰ってきた。
私が小一の時は、一学期の終業式の日にワッセワッセ抱えて帰った記憶があるので息子もワッセワッセ持って帰ってくるんだろうなと思っていたら、このあいだの台風の日に小学校で個人面談があって、その日に親が持って帰るという話だった。
台風が近づいているし、後日取りに来てもらっても良いですよと先生は言ってくれたのだが、後日学校にまた行くのがめんどくさ過ぎて、雨の中を肩と首で傘を押さえてワッセワッセ持って帰ってきた。人生で二度も朝顔をワッセワッセやるとは思っていなかった。ワッセワッセアゲインだった。

朝顔を抱えて歩いているあいだに風も吹いてきて、だんだんと気が滅入ってきたので、今抱えているのが朝顔ではなく、なにか人類の未来を救う可能性のある珍しい植物(病気の特効薬になるとかそういう)の鉢であるという想像をして乗り切ることにした。
「なんとしても博士にこれを届けねば……」とか思いながら歩いていたら、みょうに楽しくなってきた。
お前はその空想癖をなんとかしなさい、と子どもの頃からよく叱られていたが、今となってはなんとかしなくてほんとうに良かったと思う。朝顔の鉢を運ぶみたいなつまらんことを楽しむ時にちょっとは役立つ。

そういうわけで現在うちのベランダには朝顔の鉢があり、最近は咲いたところを見たいがために早起きをするという現象、いわゆる朝顔起きが毎朝のこととなっている。いそがしい。

夜は夜で、夫が森(?)で出会ってうちに連れてきたクワガタたちの世話をしなければならない。いそがしい。
生き物は死んだ時悲しいので、なるべく愛着がわかないような適当な名前(クワバラさん、クワトロさんなど)をつけたのに、昆虫ゼリーをちゅうちゅうしている姿を見るとやっぱり可愛く思えてきて私はもうだめだ。死んだらたぶん泣く。

じゃあ昼は暇なのかというと、昼は買ったばかりの手動のかき氷機のじょうずな使いかたを研究するのにいそがしい。
買って数日は、しゃかりきになってごいごい力をこめてハンドルをまわしていたのだが、それだとガリガリの氷になるのでどうにも美味くないという話になった。
ゆっくりと、軽めの力でハンドルをまわすと淡雪のごときふんわりしたかき氷ができる、ということがだんだんわかってきた。
ゆっくりした歌、たとえば『悲しい酒』とか歌いながらまわせばいいと思う。思うけど、母親が『悲しい酒』を情感たっぷりに歌いあげながらかき氷を拵える姿を息子に見せるのは、教育上ちょっとどうなんだろうか。良いんだろうか。たぶん良くない。